わたしが稲垣足穂を初めて知り、そして好きになった本です。彼の代表作で要素も強い「一千一秒物語」が収録されているので、稲垣足穂の作品を何か読んでみたいと思っている方にお薦めします。多分、好きになった人はもっと読みたくなるでしょうから。……というか、好きにならなくても彼の美学と想像力には難解さも含めて脱帽はすると思いますよ。それくらい自由奔放に並べられた言葉たち。そして、少なからず感傷もついてきます。ぜひ星空・ヒコーキ・少年愛のきらめく世界に浸ってください。
(ちなみに私は「フェヴァリット」が好きです)
ベルクソンについてというよりも、著者のいう「あいだ」という視点とベルクソンの視点がいわゆるベルクソニアンと呼ばれるベルクソン研究者とは違い、その違いをいいつつ、著者とベルクソンの著者のいう視点が同一であるという前提のもとに、著者の「あいだ」哲学をベルクソンの名をかりて説明している気がする。最後に著者は「あいだ」哲学への誘いとして、自著をあげているところからも、感じられる。
ベルクソン入門ということだが、まったくの入門書という印象は受けない。むしろ、ベルクソンの主要4作品くらいは読んだが、その歴史的射程や、位置づけを本書を読むと非常にクリアになるのは著者の懐の深さを感じられる。
欲張りすぎず書かれている感じが読みやすく、面白かった。
芥川の「桃太郎」はおとぎ話に戦争の倫理を問う作品。安部の「鉄砲屋」は経済が戦争を引き起こす様を寓話にしたもの。筒井の「通いの軍隊」は戦争に日常性を持ち込んだ皮肉な作品。 伊藤はアフリカの紛争から、戦争から逃げられない少年のニヒルな状況を描く。モブの「既知との遭遇」は不条理さを観念的、断片的に描く。 小松の「春の軍隊」は平和な世界に理由なく嵐のように去来する戦争を描写。秋山の「おれはミサイル」は飛行機とミサイルに言葉を与えた、ある種クールで哀しげな作品。三崎の「鼓笛隊の襲来」は戦争と言うより災害のユーモアがある。青来の「スズメバチの戦闘機」は子供の探検に歴史などを仮託している。 星野の「煉獄ロック」は管理社会の青少年のディープな生活を表現。星新一の 「白い服の男」は戦争を厳禁する社会を描いて、かなり面白い。山本の「リトルガールふたたび」は現代日本の大衆を風刺する。田中の「犬と鴉」は苦痛に満ちた現代の戦時下を純文的に描き出す。 稲垣足穂の「薄い街」は本書で一番戦争らしくないビジュアルの面が目立つ作品。内田の「旅順入城式」は映像としての戦争をリリカルに描く。高橋新吉の「うちわ」は人間として骨のあるいい作品。赤川の「悪夢の果て」は筋がわかりやすい。小島の「城壁」はぼけたユーモアが光る。 どれも面白かった。最初の方の会田や奈良の絵の収録もいいと思う。
~私が本格的に文章を書き始めたのはここからでしょうか。 ポケットから転がり出た月はいったいどこへ行ったのでしょうか。 芸術家特有の二重性と不安定をこの作品によって慰められたのは一人だけではないはずです。 雨上がりの春先のような今夜にぴったりの作品集です。 そして、あなたの住む小都会の路地裏のアスファルトにも 夜半過ぎの月が映り込んで~~いるでしょう。~
おやすみ前のひと時に。 稲垣足穂とたむらしげる。この二人の融合から生み出される摩訶不思議な世界。まちにまった復刊です(復刊ドットコムで見事復刊!私も参加しました)。『銀河の魚』『ファンタズマゴリア』『クジラの跳躍』でファンになった方、いかにたむら氏が稲垣足穂から影響を受けたか、この本で確かめて見ませんか? それではグッドナイト。
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