寡作で有名なまりやさんですが、長い間出なかったアルバムに、こんなにもタイアップ曲がいっぱい詰め込まれていると、彼女のJ-POPシーンにおける偉大さがわかるような気がします。いつのまにかこの人の声を聴いているんだな、と思います。 『真夜中のナイチンゲール』は、歌唱力に圧倒されます。そうかと思えば、『心はいつでも17才』は、お茶目なミドル・エイジの彼女の姿が見えるようでかわいい。『今夜はHerty Party』では、ゲスト参加したキムタクの「愛してるよ」という囁きまで聴けてしまいます。 蛇足ながら本アルバムで気づいたのですが、この方は鼻濁音をきちんと発音できる、昨今珍しい正統派歌手です。鼻濁音、つまり「学校」の「が」と「音楽」の「が」の違いです。
直江役の中居正広さん演じる天才医師は、血液のガンに冒され、 余命少ない人生を医師として、最期まで、まっとうすることを 誓った。 彼はそんな状況の為か、女性を『愛すること』を諦めていた。 竹内結子さん演じる看護婦、倫子は、そんな直江医師の心に 確実に入りこんでは傷ついていた。 そして、彼の強さや心の奥に潜む、やさしさ、もろさ、悲しさ、 に触れ、彼のすべてを知り、どうしようもなく愛に落ちていく。 全編にわたり、『生』と『死』、『愛すること』と『愛される こと』が、大きなテーマになっている。 中居さんの演技は名作『砂の器』以上のものがあった。 又、倫子役の竹内さんも、直江以上の強さとやさしさが感じら れ、彼をしっかり受け止める名演となった。 平成のドラマの中では最優秀作品といって過言ではない。 絶対お勧めの作品です。
主人公の私生活のふしだらさがエスカレートする反面、医療の現場における死にどう直面するかを、読者に問いかけている。 死に対して医師や看護婦はどうあるべきかを問うているとわたしはおもった。
まず、本のかたちは縦長。表紙は、ドラマで生命の象徴だったタンポポの綿毛の写真をフィーチャー。それからなかを開くと、最初のほうには、支笏(しこつ)湖、川べりのレストラン、土手、病院など、『白い影』のロケ地に使われた場所の写真が綴じ込まれています。 章立ては、1.著者・篠原沙里氏による序章(大新聞にまで及んだ『白い影』現象の整理)、2.著者と原作者・渡辺淳一氏との対談、3.これまでの中居正広氏のタレント活動での印象的な場面と直江庸介のドラマでの印象的な場面を通じて、両者の出会いが運命だったことについての著者による論証、4.ドラマ『白い影』制作過程レポート、5.『白い影』で使われた主題歌、ポピュラーミュージック、クラシック、サウンドトラックの特徴、使われ方についての分析、6.『白い影スペシャル』についての記述、そして積極的・創造的な視聴者によってファンサイトに寄せられた『白い影』についてのサイド・ストーリーの転載、7.原作『無影燈』とドラマ『白い影』の人物のちがいについての比較、8.『無影燈』から平成版『白い影』に至るまでの出来事(連載開始とかクランクインとかDVD発売とか)年表、9.『白い影』現象についての、英文学者・下河辺美知子氏の分析・批評、『PSIKO』(本書に転載された『白い影』批評を初めて掲載した雑誌)編集長・志村昌彦氏の検証、10.著者による結論(「〈直江庸介〉とは誰なのか」についての回答)、11.あとがき。おもな章の最後には、英語の文学作品から死・不安・愛・生命についての文章、ロケ地写真とドラマの名ゼリフを引用しています。 ドラマなどを細かく分析すること自体がむだだ、とは思いません。ですが、人間の究極の愛し方、死に方についてのことばを越えた感動作である『白い影』にかぎっては、わざわざことばを費やした分析・批評は、むだな努力に思えてしかたがありませんでした。 とはいえ、納得できました。まず、著者が中居君のことが大好きであったからこそ、これほどにまで過大評価気味に『白い影』に入り込んだことが伝わって来るから。次に、冒頭の対談で渡辺淳一氏が残している「「死」に匹敵できるものは、金でも地位でも名誉でもなくて、「愛」なんだ」(30頁)という核心を衝いたことばが著者のおしゃべりに対するぼくの違和感を代弁してくれているから。『白い影』ファンが読んでも大丈夫でしょう。
副題の取り合わせの妙に惹かれて購入しました。
本書はSMAPという国民的アイドルが歩んだ出来事と並行して、平成の日本社会の変容が描かれています。ファン心理では「アイドルand私」という図式の中で終始しそうな関係性ですが、日本(および世界?)という大きな枠の中にSMAPを置いたとき、初めて彼らの影響力の大きさ、そして芸能界で生き延びてこられた強さを知りました。
暴露本の類ではないので、そっち方面に興味がある方は物足りないかもしれませんが、もしかしたら、もっと大きな現象を暴露しているのかもしれない本です。個人的には「閉じた空間であるオウム真理教」と「外界という現実へ落ちてみせるSMAP」や、ホリエモン、中田選手と同年代のSMAPの比較にうならされました。
コンサートにも行ったことがなく、熱心なファンというわけでもありませんが、同時体験しているような臨場感あふれる場面が多いです。また附録の年表には、「SMAP」「日本と世界」「私のクロニクル」(ここだけ空白)という欄があり、自分史を書きこめるようになっています。古い手帳の束を持ちだして、ちょっと書いてみようかと思案中です。
-☆1の理由は、読んでいるときカバーのビニールがぺたぺた腕に張りついたからと(季節柄しょうがないですね)、目次の在処がわかりにくかったから(ちゃんと最初にありました)。
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