30年前初めてデオダートを聴いたのは「ツァラトゥストラはかく語りき」でした。その次に出た「ラプソディー・イン・ブルー」どちらもLPを買いました。 あれから30年、もう一度聴きたくなりCDを購入しました。 今聴いても新鮮です。 ジャズ・ロック・ソウル・クラシックのジャンルを超えた音楽です。
デオダートことエウミール・デオダートが1978年に残したワーナー移籍後初となるアルバム。当時のワーナーが抱える売れっ子プロデューサー、トミー・リピューマとの共同プロデュース。古典的な音作りでフュージョンの原風景を思わせる内容だが、それでいて今尚新鮮な感動を与えてくれるのはデオダートの作編曲の妙といったところだろう。
また、デオダートの弾くフェンダーローズの音にも触れなくてはなるまい。レンジが狭いというデメリットを抱えながらも、その美しい音で人を魅了して止まないフェンダーローズ。そして、「自分より指が早く動くキーボーディストはいくらでもいる。早い演奏が必要な場合はそれに見合った奏者に弾かせれば良い。」と断言した上でリズムと情感を重視した演奏を聴かせてくれるデオダート。その姿は作編曲家としてでなく演奏家としても自信に満ちた格を感じさせる。デオダートの弾くフェンダーローズには単なるテクニックを凌駕した芸術性が存在するのだ。
デオダート以外の奏者についても豪華なメンバーが名を連ねている。ラリー・カールトン(g)にジョージ・ベンソン(g)、ハーヴィー・メイソン(ds)、ゴードン・エドワーズ(b)等だ。ジャズ/フュージョン界の名だたるプレイヤーが集まり作られた全曲インストロメンタルの硬派な作品。ロックやファンク、クラシックにブラジル音楽。様々な音楽を取り込んだミクスカルチャーの先駆けともいえる本作は、個性的な奏者の野合によってものすごいエネルギーを発している。
少々異色なのが4曲目の「San Juan Sunset」。エネルギッシュな楽曲が並ぶなかで妖しげな緊張感を持ったバラードが1曲織り込まれている。ローズの美しさがひときわ際立つ曲である。
食人監督デオダートの食人映画第1作。以前カットされていたシーンも追加されている。 2作目の「食人族」ではわざとドキュメンタリータッチにしていたが、本作では普通の劇映画の手法を取っている。 特典として、デオダートのインタビューがあり、撮影当時の裏話が聞ける。主役のマッシモ・ロッシはその体力が見込まれたそうな。 見所は、全編裸で頑張っているミー・ミー・レイ(メ・メ・レイ)の可憐さと、彼女が無惨に食べられるシーン。こういう映画だと女優も大変ですね。
数多いホラー映画でも重要なイタリアンホラーで一色の貴重な1冊。
イタリアンホラーに多少でも興味がある人には読み応えのある内容。
ただページ数が少なかったのともっと多くの作品解説が欲しかった。
本作は『食人族』以前にデオダート監督が撮った初めての食人族映画。
『食人族』の方がヒットしたので若干、影に隠れ気味な作品である。
しかし、出来はとても良い。残虐さに辟易する人もいるだろうが、それ以外は文明から隔絶された空間に閉じ込められた人間が極限まで追い詰められながら脱出を目指す冒険譚なのである。
主人公が原住民にヤリを突きつけられ、縛られて服を剥ぎ取られ、黒いブリーフも取られ、局部をいじられる様子、その後、残飯を与えられるも、自分よりも強いくちばしの長い家畜の鳥に全て喰われる屈辱感、 何より、言語すら存在しない原始人のような部族に石を投げられ、柵から顔を出すとヤリでぶたれる屈辱。
主人公がヨーロッパ人であることも考慮に入れると「アジアン人に」という要素も加わったと見て良いだろう。
そのようにして、価値観が崩壊した主人公が、逃げようとした食人族の女を服従させる為に犯したり、逃げる為に倒した食人族の腹を切り、肝臓にかぶりつく様子は、ジャングルという弱肉強食の「社会」で生き残る為に食人族と変わらなくなっていく様を描いていて何とも皮肉だ。
事実、それで女は主人公に食べられる木の実や魚を運び、食人族は主人公の追跡の手を緩めるのだから、文明社会では決して認められない主人公の行動も、この社会では正当化される。
映画の手法としても、仲間から裏切り者とみなされた女が食人族に喰われる様子と、瀕死の仲間をかばいながら主人公が先の見えない道を必死に進む様子をクロスカッティングさせて、音楽と共に叙情感を醸し出すことに成功していて、編集上の工夫が感じられる。
最後に飛行機のプロペラが動き出し、離陸した途端に息を引き取る友の様子や、笑顔の裏に陰りが見える主人公の表情など、人間と、人間の運命の残酷さを浮き彫りにした名作である。
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