根拠史料が偏り過ぎている。 正之の礼讃本ばかりでなく、もっと多種多様な史料を参照できなかったのか。 名君なのはよくわかるが、ここまで誉めるとちょっと嫌味。 小説としてはなかなか面白い。
会津戦争の悲劇性について、あるいは戦後の斗南藩の人々の苦難の歩みについて、そして会津出身の高い倫理性に裏打ちされた日本を代表する偉人達について、多くを教えてくれた好著。白虎士中二番隊の悲劇は云うまでもなく、著者の綿密な考証と達意の文章から立ち上る西郷一族二十一人の自刃や中野竹子・神保雪子の最期、照姫の貞淑、山本(新島)八重の際立つ個性と奮闘振り、柴五郎(義和団の乱における北京籠城戦での彼の活躍無かりせばあの日英同盟も無かった由)の数奇な運命と一生など、収録された挿話はどれも一気に読ませる緊張感と迫力に満ちている。
「ここは戦場なるぞ、会津の国辱雪(そそ)ぐまでは戦場なるぞ」(283頁、斗南藩時代の柴五郎の父親の言葉)
それにしても、蘆花徳富健次郎の『不如帰』や『黒い眼と茶色の目』がそれぞれ大山捨松や新島八重をモデルにしていたという事実を、私は本書で初めて知りました。また、旧会津藩は最初から北辺の地へ追いやられたのではなく、猪苗代という選択肢も提示されていたという史実(258〜260頁)についても同様です。
一読、本書に関しては特に難しいという印象はありません。テーマに関心のある方にとってはどなたにでも裨益するところがありかつ興趣そそられる一書であると思います。
これは第一次世界大戦で日本が青島で戦ったときのドイツ軍捕虜を日本各地で収容していた時の話で、徳島の板東俘虜収容所の所長を務めた、松江豊寿大佐(当時)の話である。
松江はその後少将に進み、退役した後は乞われて会津若松の市長を務めている。どうしてかというと、彼の祖父と父は会津藩の禄を食んでおり、父・久平は戊辰の役には会津藩士として官軍と戦っている、という縁からだった。即ち、この物語は幕末時から明治と大正期にかけての会津人の生き方をも描いているのである。
作者は、主人公が中央政府に逆らってまで俘虜たちを優遇するその根底には、幕末に賊軍扱いされた会津藩士として、逆境にある人たちへの同情心があり、同時に中央政府に対する反逆心と、更には正しいことを貫く会津武士道がある、との想定でこの物語を描いているが、恐らくそうであったと私も思う。
話としても大変に面白かった。松江は単に俘虜としてドイツ人を扱うのではなく、各人の個性やその当時日本には希少であった技術を日本に移転してもらうことも考えたのだろう、例えば、機械技術に心得のある俘虜たちを町の工場に派遣して機械を修理させるとか、ドイツ料理やパン製造の知識を町の人たちに教えるとか、音楽の素養のある者達に第九交響曲を演奏させるなど、人間として扱い、そのようなことから当然ながら日本人にとってもよい影響を与えたようである。
そういう話とは別に、私が感激し、日本人の朴訥さと善良さが出ていると思った描写は、満州から引き上げてきた高橋敏治・春枝夫妻が亡くなったドイツ人俘虜の墓を見つけ、無償で守り、線香を供え続けたことである。昭和三十五年に駐日西ドイツ大使その墓を参った時に、大使は高橋春枝さんの手を自らとって、日本語で、「アリガト、アリガト」と感謝の意を表したという。
その後の松江豊寿の生涯と枯淡な生き方には共感するものがあり、気分のよい話を読んだことに満足した。
著者の処女作品集で、6編の短編が納められています。 時代は、安土桃山から明治まで色々。 とくに面白かったのが、坂本竜馬暗殺について書いた 「近江屋に来た男」 主人公の最後の台詞が利いています。 又、柳生新陰流の話 「一つ岩柳陰の太刀」 の剣戟の描写が秀逸です。 奥方が活躍する話もありワクワクしながら読みました。 短編ですので、どのお話から拾って呼んでも楽しめます。
まさに名君の要素を兼ね備えた人物が、幕政や藩政に影響を及ぼすことで多くの民衆が救済された。
しかしその一徹な将軍家への忠義の精神が、堅い遺訓として会津藩に伝えられ、 幕末の悲劇へと結びついてゆく。 時勢におもねることのない純粋さが、悲劇をより一層冷たく美しく際立たせているとも言える。
殉死を禁じ、江戸城天守閣の再建を無用として退け、 大火災で焼け出された江戸市民に惜しげもなく幕府の財産を費やし支援を惜しまなかった、 合理主義的な政策の目立つ保科正之であったなら、幕末の困難をどう生き抜いたであろうか。
その言葉だけが残され神格化され、正之には到底及ばないような人々がそれに愚直に縛られる状況では、 せっかくの合理性も精神も、損なわれてしまうというものではないだろうか。
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