歌舞伎町の美貌のホスト倉科崇。
お相手は暴力団幹部の樋口貴奨という、倉科とは別世界に住む危険な男。
だが危ない男と分かっていても、倉科は樋口に惹かれるのを止められない。
先輩で恩人で・・・倉科が以前から憧れていた烏丸の、かなり身勝手な事情に巻き込まれる形で話は進む。
一部に監禁(囚われ・攻められ)のような部分もあるが、そこには見え隠れする「愛」があるから痛くない!
テンポも良くドラマティックで先が気になり、ゆっくり愉しむ予定だったが結局は一気読み!でした。
何よりも倉科の真直ぐな性格と、樋口の男っぽさが好印象。
蓮川氏のイラストがまた、とても素敵で大きくプラス。
そんなわけで★も5つ。面白かった。
サザンオールスターズデビュー以来50枚目のシングルは、洒落た大人の雰囲気漂うおバカソング。一言で言えば実にサザンらしい一曲です。 ナンセンスさとカッコよさが共存した歌詞に、独特のメロディ。 26周年を迎え、シングルも50枚に達しながらも、まだまだサザンオールスターズは第一線で頑張ってくれそうな期待を抱かせる一曲です。 フジテレビ系ドラマ「大奥~第一章」の主題歌となっています。 カップリング曲はトヨタのキャンペーンソングとしてCMで使われている「LONELY WOMAN」。 しっとりとしたミディアムテンポのこの曲は「愛と欲望…」と好対照で、ポップなサザンを聞かせてくれます。 さらにボーナストラックとしては、2004年夏にファンクラブ限定、しかもその中でも限られた人数しか行くことのできなかった幻のライブで演奏された音源が2曲収録されています。 「イエローマン」はサザンのライブでは発売以来定番となっているナンバーですが、今回はいつもとは大幅に異なるアレンジがされました。 「ラチエン通りのシスター」は古い曲ですが、多くのファン、そして桑田さん自身も強い思い入れがある隠れた名曲です。
異色のアルバムです。その理由は、第一にバイオリンがフィーチャーされていること、第二に曲の共作者にジャック・レヴィという謎の人物が存在していること、第三に歌詞の意図が不明なことです。 第一については述べるまでもないでしょう。ローリング・サンダー・レビューのツアーにもこの女性ヴァイオリニストは同行しています。第二の点については、この人物はいろいろ詮索されていますが身元は不明のようです。問題は第三の点なのです。冒頭に置かれている「ハリケーン」、あまりにも有名な、無実の罪で収監されているボクサーに関するプロテスト・ソングで、これには不審な点はありません。わたくしが謎だと思うのは「モザンビーク」です。モザンビークは、地球上で一番悲惨な場所であったと言われているくらいで、それは、「30th anniversary」でスティービー・ワンダーが、"War"でボブ・マーリーがはっきり言及しています。1975年の独立以来、黒人による共産主義政権を妨害するために南アフリカがゲリラを支援し、15年にわたって内戦が続きました。現在でも未だにその後遺症で苦しんでいる状態です。このアルバムが作られたころは内戦が勃発する寸前で、治安は決してよくなく、バカンスに行けるような場所ではなかったはず。にも拘らず、このノーテンキとしかいいようのない歌詞はいったいなんでしょう。この詞をものしたレヴィとディランの真意はいかに? この政権にエールを送ったつもりだったのでしょうか。
もうこの映画はスカルのためだけの映画といっても過言ではありません。簡潔にしかし色濃く描写される旧鳴海探偵事務所メンバー達。
今までビギンズナイト以外ではろくに鳴海壮吉という人物が描写されていなかったにもかかわらず、ものすごい自然さでそこにおやっさんは立っていました。
ずっと昔から仮面ライダースカルという作品があってそれを見ていたような錯覚さえ覚えるほどに完成された世界でした。
おやっさんかっけぇ!しかでてきません。
もうちょっと尺があっても・・・いや、これ以上は助長じゃないか?というもうちょっと、もう一回スカルの話を見たいと思わせられる、絶妙な尺での展開でした。
長くなるのでスカルのレビューはやめます。が、このためだけにお金が払える出来なのは断言できます。損はさせません!
OOOは・・・なんと言うか・・・夏のWの映画を思い出します。
夏の劇場で思ったのは俺だけじゃないはず「ゴセイジャーいらねぇ!」と・・・
今回はそれが「オーズいらねぇ!」でした。
というわけで長く語るのは不満点にしときましょう。世の中甘い蜜ばかりではありません。当然はずれもございますれば。
不満の理由としては
・TV版との整合性が取れていない
処々でTVとは違う状況等が出てきます。
これについては、好意的に解釈するならば、スタッフがWとOOOは世界が一緒とは明言しておらず(WのTVシリーズでメダルが出たのは番宣のためらしい)MOVIE大戦にするにあたってTV版が終了していない状態で別世界の作品と世界を共有しつつTVと繋がるエピソードを構築する、というのが難しかったためにOOOが割を食ったともいえます。
ディケイドみたいに他作品とそのままでホイホイ競演できる設定なら簡単でしょうが・・・(ビギンズナイトなんかはディケイドだからこそ出来たってやつです)
一応、OOO側はパラレルワールドとスタッフが明言しているので一応は納得しています。
・わけがわからん描写
ノブナガの幻覚(あれはおそらく幻覚といっても差し支えない)で見せられるゲストヒロインのなぞのバレエ。
なんだか電王トリロジーのエピソードレッドの侑斗と愛理の描写みたいな状況でした。
電王は主演たちがやってるうえ、しっかり相互関係があるので問題ない(それでもちょっとしつこかったが)のですがこっちはゲストキャラなうえ、完全にノブナガの片思いなのでマジで監督が何したいのかわからずじまいでした。
簡潔に言うと以上の二点です。バース云々はパラレルな上に劇場版なのであんなもんだと解釈しています。
MOVIE大戦はおまけです。スカル出すのにWが必要だった。今やってるのはOOOだからOOOも入れなきゃ。で二作品あるなら競演させないとね、って感じの超おまけっぷりです。
一応言うなら見所はアンクに驚く翔太郎とWの決め台詞をうらやましがる映司です。
OOOの不満点を差し引いてもスカルだけでぶっちぎりの星五つなのですがこんだけ不満点並べといて五はないだろうという客観的な自分のささやきにしたがって星は四つです。
資本主義を手垢にまみれたレッテルから解放し、その歴史を振り返り、純粋に現象だけを追い、本質に迫る。するとそこに浮かび上がるのは人間の欲望という概念である。欲望こそが資本主義を推進させてきた原動力である、とする。
ある世代には、資本主義とは共産主義の対照としてのイメージが強いらしい。資本主義は常にマルクス経済学の立場から批判されるものだった。それでも、物質的に満たされてしまった資本主義の行く末を案じながら、新たな資本主義の可能性を探る1冊である。
一般には、プロテスタントが資本主義を発明したかのように思われるが、資本主義を突き詰めていくとルネサンスのころには既に人々の欲望を満たすための資本主義が始まっていたという。資本主義は、資本つまり借金をして投資できる環境において、誰かの欲望を満たすために物を調達して利益を得る行為であろうという。
当初は貴族のための嗜好品をイスラム圏から運んでくる行為だった資本主義が、新世界の発展で世界を巻き込む。いや著者はこれすらも、イスラムとアジア圏の貿易に西洋が参入した行為と捉える。なるほど。 外へ向かった資本主義が産業革命やフォードの大量生産で、消費者個人の欲望を捉える内向きの資本主義になり、今や個人への1to1マーケティングまで行き着いた。生産されるものは全て個人の欲望を叶えるためであり、そこには歴史も文化も文明を感じさせる物はない。流れ者のナルシシストのための資本主義である。
だが、行き詰まった資本主義がぐるっと回帰して文明や文化を志向することを著者は望んでいる。 それが世の中を明るくすることを望みつつ、本を閉じた。
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