植物診断室
星野智幸作品を読んだのは初めてである。装丁と題名に惹かれて手にとった。
家族の中の「父親」の存在意義を植物に託して問うているところは評価できるが、いまどき特に目新しいテーマではない。
ある講演会で父親ってのはオプションだと語った男がいたが、それに大いに共感した者としては、主人公は「人工の更地に生えたススキ」のまま終わってほしかった。
そうしてこそ、この本を読んだ男性諸氏に与えるインパクトは強いと思うからだ。
ただ、文章には大いに魅力を感じたので、ほかの作品も読んでみたい。
余談、「これこれスギノコ起きなさい」って軍歌だったのか。知りたくなかったかも。
トロンプルイユの星
忘れたくない。 忘れようとするのが、予め決められた思考回路なのか?それとも本当に誰かが塗り替えるのか。 『トロンプルイユの星』雑貨などの選び方がお洒落で拝読中の気分が良い。ストーリーは始め淡々と進み中盤に向けじわじわ上げその後一気に駆け、またはじまりの鉱石のような静けさに戻る。作者はこの現実世界のアレについて最早明確な確信があるのだろう。余りにもシンクロナイズした所が多く、放心をしたし涙もながした。読後感は切ない。メンソール。
人はお金をつかわずにはいられない
日本経済新聞電子版の2010年11月から2011年4月にかけて連載された5編の短編小説を単行本化したものです。お金にまつわるテーマを力量のある5人の作家が執筆しています。いずれも近年大きな文学賞を受賞している作家ばかりなので期待を持ちながら読了しました。
全く違う視点からそれぞれアプローチして「お金」の持つ魔力のようなものを浮かび上がらせた珠玉の5編が所収してあります。
久間十義「グレーゾーンの人」は、サラ金業界で長く働いてきた1人の男の語りを通して、知られざる消費者金融の背景にある人の悲しみが伝わってくる内容でした。明治東京の最大の貧民窟であった鮫ケ橋の質屋にサラ金の原点を見ていました。ラストの1行が光っています。
朝倉かすみ「おめでとうを伝えよう!」では、趣味の少ない真面目一筋に生きてきた50代の男性がSNSを通して知ったゲームにはまり、仮想空間の構築のため、現実のお金を費やす日常を描いていました。ネット空間と現実の世界との行き来がこの小説を風変わりで魅力的なものにしています。
山崎ナオコーラ「誇りに関して」は年収2千万円(この年収設定は一般的な勤務医の状況からすると過剰でしょう)、貯金が3千万円ある30代の女性の勤務医を主人公にしています。10万円のスカートを購入することに後ろめたさを感じながら「社会的責務」のあり方を考えさせるような展開でした。少し現実離れしており、好みが分かれる内容でしょう。
星野智幸「人間バンク」は働くこと、そして対価としてお金をうることの意味を問うたものでした。仮想現実的な設定が読者にどれだけリアリティさを伝えられるかということを危惧する内容です。
平田俊子「バスと遺産」も遺産を通して、肉親の冷たい関係を描いています。「大切な人との別れに比べれば、お金との別れなどたいしたことはない」という気持ちになる展開は理解できました。
ファンタジスタ (集英社文庫)
3つの中編小説の1つが「サッカー小説」=「ファンタジスタ」。他2編のうち1つは芥川賞候補作である。
どの作品にも幻想的と呼ぶにはやや泥臭い、というかややチープな、それでいて独特の雰囲気はしっかりもった〈ホシノワールド〉が存在している。
「ファンタジスタ」は近未来というよりはむしろパラレルワールドに同時並行的に存在する〈もう一つのニッポン〉の数年後の姿のよう。
「大統領」に立候補したサッカー界の大物。階層化が進み隊列が長くなる社会。
「国際化」に埋没していく大多数の中下層〈ニホンジン〉。フットボールと呼ばれるようになった〈ニホンのサッカー〉。主人公の恋人?が愛用する異様な「抱き枕」。
キーワードとして使われているボールリフティング。
リアリティーがあるようなないような。幻想的であるようなないような。
そこに〈サッカーの真実〉はあったか?〈人生の真実〉はあったか?
〈閉塞感〉だけはあった。
「現代社会を覆う閉塞感」などとこの作品世界の〈閉塞感〉を対置させるのはあまりに陳腐に過ぎよう。〈閉塞感〉はそのものとして受け入れよう。
そのうえで、その〈閉塞感〉を突き抜けた向こうにある〈ナニモノか〉の存在を本書のなかに感得できたか?僕は感じることができなかった。存在の暗示すらも。
閉塞され、その向こう側に待つ〈ナニモノか〉を感じ取れない世界。それもまた〈サッカーの真実〉なのか。
俺俺
詐欺のはなしかと読み始めたら、全く思いもよらぬ方向に展開し、しかしまるで我が事のように思えてくる。だって俺も俺なんだから。
まず表紙に惹かれて手にした。奇妙な絵だと思ったけど、いやこれ、ピッタリだわ。