M1〜M5はグルダのピアノ・ソロ。くつろいだ雰囲気だけれども真剣な演奏による、モーツァルトへの愛の告白。M5はグルダの編曲で、素敵なピアノの小品に仕上がっている。
M5で舞台に登場したデナーラインはM6から演奏に加わる。グルダ作曲の美旋律で有名なM6は、M5とほとんど切れ目なしで演奏されることで盛り上がり、かつデナーラインのシンセサイザーの音が薄く被さって、グルダのピアノが殊のほか美しく響く。この曲のワン・オブ・ザ・ベストの演奏だと思う。
本作にグルダと他のプレイヤーの共演に時として感じる過剰さはない。デナーラインのオルガン&シンセがグルダのピアノのアタックを包み込むように作用するから。なかなか良い組み合わせだ。
11分を超すベニー・ゴルソンの曲M8では、オルガンの足ペダルでのベース・ソロが面白い。最後M10ではグルダが上機嫌で弾き語りの歌を披露。
このように90分超のプログラムの内容自体は満足できる。しかし、国内盤は輸入盤(リージョン0)パッケージに、日本語で印刷した紙カバーをつけただけで、日本語字幕・日本語解説書はついていない。輸入盤で十分。国内盤としてのパッケージ全体の質を考慮して、評価は辛目。
モーツァルトのピアノ協奏曲の中で、とりわけ有名な23番と26番を収めた1枚。 この2曲に共通していえることは、グルダの奏でるピアノの音色に透明感があり、その音色が、モーツァルトらしい、のびやかで美しい音楽を作りあげていることである。 もう1つ印象的だったのが、オケのみで演奏される部分で、グルダのピアノがかすかに鳴り響いていたことだ。まるで、「自分も、オーケストラの一員」といわんばかりである。これは、他のピアニストにはみられなかった特徴だろう。 23番、26番とも、わたしのお気に入りは、第3楽章。どちらも、明るく軽快なロンド楽章だが、グルダのピアノが、オーケストラと楽しげに戯れているようで、なんともほほえましくて、チャーミングである。 それと、グルダの演奏を支えるアーノンクール&コンセルトヘボウのコンビだが、トランペットとティンパニが入る26番は、いつもの派手なオーケストレーションながら、決していやみにはならない。 23番も、落ち着いたオーケストレーションで、グルダとともに、美しい音楽を作り出している。 とにかく、すてきな演奏である。星5つあげちゃいまーす!
グルダのモーツァルトには他にはない自由さがある。
弾き振りをするグルダは少々滑稽な姿(というか、身のこなし)だが、
その演奏には「モーツァルトが生きていた頃はこんな風に“自由に”演奏してのだろうな」と思わされる。
グルダの弾く音楽は自由で、生き生きとしている。
オケも頑張っている。
グルダの“生きた”音楽にただついていくだけでなく、ただ合わせるだけでもない。
グルダとともに、とても生き生きとした演奏を繰り広げている。
グルダといえば何か奇抜なことをしてくるのでは?と思われがちだが、このCDでは逆に模範的な演奏である。
ベーゼンドルファーのピアノ、ヴィーン・フィル、そしてムジークフェライン大ホールの響きが一体となっていて、とても美しい音が聞ける録音。
特に雄大な25番は緊張感と美しさが絶品。祝祭的な輝きが最大の特長とされるヴィーン古典派きっての名作を好演している。この演奏を聴くと他の演奏者による25番が色あせて聞こえる。KV.503はヴィーン時代にモーツァルトが作曲したピアノ協奏曲の中で唯一再演されたことが判明している作品で、当時の聴衆の好みが伺えます。
27番は作品の持つ独特の寂寥感が迫ってくる。ヤゲウォ大学図書館に所蔵されている27番の有名な自筆譜(精巧なレプリカが販売されています)は大変立派な装丁がほどこされ、いかに大切にされてきた作品なのかが伺われる状態だが、この演奏は作品に対する愛情と尊敬が伝わってくる。モーツァルトは若死だが、この演奏を聴くと死ぬべき時に死んだのか、と思えてくる。
古楽器で聞くモーツァルトは確かに面白いが、ピアノという楽器の一層の改良発展を願っていた作曲者の願いを叶えた演奏とはこのような演奏か、と思わずにはいられない。
クラシック界からの解放を夢見たグルダ・・・。その音の響きは躍動感に満ち溢れ、感性の鋭さと生命力の強さが伝わってきます。グルダのアリアは、絶品ですよ!これこそ、究極の癒しです。
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