上林暁という小説家の作品を、「図書館や古書店にあたればいつでも読める」という人と「どこで読むの? どんな作家?」という人がいる。
本書は基本的に後者のために作られた本であり、しかも、上林作品を読んだことのある人には、また別種の感慨をもたらす本になっている。
どの作品をチョイスするか、選者が悩みに悩んだ過程が率直に語られ、「そうだろうなあ」と素直に思う。
選者の山本善行さんに対してどんな評価をしようと自由だが、文庫でカンタンに読めない作品が収録されていたり、やはり自分の
お気に入りには執着があったり、大いに逡巡しただろうその様子は、山本さんが長年、上林作品にほれ込んで読み続けてきたこととあいまって
十分に信頼に足るものだと私は考える。
収録された7編のうち、最初に「花の精」が選ばれている点、まず、グッと来てしまう。この可憐で美しい一編を、未知の上林読者に向けて
最初に差し出すことに決めたそのセレクトは、やはり見事だ。
今日ではなかなか新刊書店で出会えない、ある意味マイナーな作家を、ドンと網羅的に出すのではなく、7編、というくすぐったい数の
作品集として世に出すことで、多くの人がその作品世界の入り口に立ち会えることは、とてもハッピーなことではないか。
本書は、上林暁という甘美で大きな世界の、a piece of cake なのだと思います。
手に持っていてうれしい、ていねいに作られた装丁とともに、何回でも読み返したい極上の本です。
好みは分かれるだろうが、私は上林暁のような人間に惹かれる。この短篇集を読んでそう思った。坪内祐三の編集の妙も見事である。
上林の短篇の魅力は、己の至らなさをああだこうだと書き連ねながらも、最後にハッとするような美しさの結文を配した結びの段落を据える巧みさにある。例えば、「たばこ」の最終段落は以下の如し。
実際一頃の私は、天地晦冥であった。夜の寝支度をしながら、「朝が来たとて何んの楽しみもないが。」などと独り言を言って、膚触りの冷たい蒲団の中へ潜り込むこともあった。夜なかに、ふっと眠りから醒める。前途の多難を思って、息の根の止まりそうなこともあった。毎日午後の三時頃になって来ると、身の置きようもないほど遣る瀬なくなった。それも天気が好ければまだしも、あの陰鬱な雪つづきでは、泣き出したいほどだった。天候の影響などと言った生易しいものではなかった。天候が自分の健康の工合そのものとも思われた。命を縮めても構わないから、一本の煙草が欲しくなるのは、そういう時々であった。そして現に、それによって苦渋を凌いで、春萌えの命となりつつあるとも言えるのである。(289−290頁)
「禁酒宣言」や「春寂寥」などの結びにも見事な余韻が漂っている。この作家の文学にかける思いが立ち現れてくるようだ。
なお、本書収録作品は、「女の懸命」「暮夜」「禁酒宣言」「いさかい」「春寂寥」「魔の夜」「お竹さんのこと」「愉しき昼食」「酔態三昧」「春浅き宵」「女の甲斐性」「たばこ」「蹣跚」の13篇である。いずれも昭和20年代に発表されたものである。
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