キリスト教徒の勝利、図書館破壊、住民の強制改宗、ユダヤ人迫害。
5世紀のエジプトで起きたことが、1000年後のスペインで 再び繰り返されることになる。
レコンキスタ、禁書目録、異端審問、ユダヤ人迫害。
作り手たちは確実にわざとやっていますね。
ラスト、だーーーッとなだれこむので、心身ともに元気なときに見て下さい。
一度目はストーリーを追い、二度目はファッションと海辺の景色をたんのうしました。
レイチェルの美しい肢体と、おさえた演技が素晴らしいです。フェチ映画です。 コステロの歌うアイウォントユーが胸を締め付けます。
活動家の妻テッサにとって、外交官でありながら政治的な駆け引きなんかとは無縁の夫ジャスティンは心休まるシェルターのような存在だったのでしょう。園芸が趣味の穏やかな人柄の夫を愛し、守られていた。そして最愛の夫を守るために全てを秘密にしたまま、死んでしまう。残された夫は、そんな妻のことを何も知らなかったことに悔悟の念を抱き、死の真相を知ろうとする。全てを知ったとき、彼女の意志を継いで、彼女のもとに辿り着く。このラストシーンには涙が止まらなかった。この映画、政治謀略ものとしても面白いが、何より愛の映画であるところが優れている。こんなにも深く人を愛し、理解できるのかという思いが残り、感動しました。娯楽作品に、ドキュメンタリーのような映像、詩的な映像を織り込んでいく監督の手腕も見事ですが、主人公2人を演じるレイチェル・ワイズ、レイフ・ファインズの魅力がこの映画の一番の見所だと思います。
本作のテーマは、広い意味での「こだわり」のような気がします。対象は人であったり、生そのものであったりします。 「こだわり」には2つのフェーズがあります。愛しいという「傾倒・愛着」の段階と、なくてはならないという「耽溺・中毒」の段階です。ラブ・ストーリーになるのはこの2つの中間ですね。それが「愛」なのかもしれません。 傾倒・愛着は「愛」の初期段階だとすると、耽溺・中毒は「愛」の最終段階というより、病的な段階です。(「愛」に最終段階があるかどうかは微妙です。) 「愛」が「こだわり」の一形態だとすると、次のようになります。「愛着」→「愛」→「中毒」、英語で言うと"Attachment"→"Love"→"Addiction"となります。 アロノフスキーはこのことにこだわっているような気がします。"Love Story"というよりも”Addiction Story"ですね。『レクイエム・フォー・ドリーム』はまさに麻薬中毒の話でしたしね。 こんな話を、ヒュー・ジャックマンとレイチェル・ワイズで撮っていたんですね。ビジュアル・イメージでの表現はちょっと古いような気がします。前作のほうが斬新でした。 後、こんな台詞が気になりました。「泣きながら生まれてきた人間は、生を全うしても泣きながら死んでいく。」
事実が元になっていて、演技や演出もリアリティがあったので、 観ている時に逃げ場が無く集中して見入ってしまいました。 酷い内戦後で複雑な民族感情が渦巻くボスニアのなか、孤立無援に近い状態で 無力感に耐えながらも使命感に燃え、人身売買組織に立ち向かう女性警察官のキャシー。 犯罪組織やそれに関わる人達のおぞましさ。でもこれが現実なんですね。 われわれはもっと、世界各地で起きているこういった理不尽な現実にしっかり 目を向けるべきだと思いました。
次はナイロビの蜂を観たくなりました。
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