日本にはほとんどなかった(世界でもきっとそんなに多くはない)、小惑星を使った占星術の本です。 この本では数十万個あるといわれる小惑星の中の、特に女性と恋愛に関わりの深い5つの天体で占う事ができます。 もちろん全く占星術を知らない方でも簡単に見る事ができます。 最近キロンはよく見かけますが、その他の天体に関して扱った物がほとんどないのでこれは非常に嬉しいです。
日本における小惑星占星術の権威である芳垣氏のコラムもあるので、女性だけでなく占星術を勉強されている男性もぜひ読まれた方がいいかと思います。 …男性にはかなり手に取りづらいタイトル&装丁だとはおもいますがw
珍しいスノードームのはやぶさと小惑星イトカワ。写真ではわからないのですが、中に入っているラメの色合いが大変すばらしい。たっぷりのラメが蒼、紺碧、金色、ピンクときらめき、振らなくてもドーム全体が青く輝いています。さながら全天球映像の星空のようです!部屋の明るさによって異なる雰囲気が出て、日光の下では地球付近、ライトの下ではイトカワ付近…なんて想像してしまいます。はやぶさとイトカワ自体の作りは甘く、手作り感のような風合いがあります。細かいディテールよりも雰囲気を味わう作品ですねww ちなみに後ろにはペンを立てる穴が2つ空いています。私は紙で作ったロケットや、JAXAの先生にサインしてもらった時のサインペンを立てたりしています。手のひらサイズで場所も取りません。プラスチックなのでそれほど重くなく、割れる心配も少ないかと思います。
旧三部作《特別篇》の各2枚組オリジナル・サントラCDに関しては、旧RCA盤、現行のSONY盤共に失敗リマスターで狭音場のデッドな音質だけに、それに準ずるジョン・ウィリアムス自作自演の正統アルバムとして、(チープな酷いジャケはさておき)録音に優れた本盤の価値は高い…ものの…
リアルタイム世代でサントラとストーリー盤のLPを繰り返し聴き、ベルリン、レニングラード、シカゴ、フィラデルフィアといった名門と並んで屈指のヴィルトゥオーソ・オケだった70〜80年代当時のロンドン交響楽団の重厚なパワフル・サウンドに強い愛着がある者にとっては、如何せん、臨時編成の非力オケ、『スカイウォーカー・シンフォニー』の1回聴けば飽きてしまうような平板な演奏はちっとも愉しくない。ゾクゾクするほど豪快な名手揃いのブラス・セクションが咆哮し、大編成のストリングスが畳み掛ける醍醐味は、到底オリジナルに及ばない。"far, far away...."だ。
同じくジョン・ウィリアムス作品である後年の《1941》でのビッグバンド・ジャズへと発展するEP4の名曲『カンティナ・バンド』では、「ベニー・グッドマン風」スタイルで書かれているにもかかわらず、肝心要の木管アンサンブルはスィング感ゼロのノリの悪さ(オリジナルでは別途起用されたジャズ・ミュージシャン達が演奏した)、ペットも堅苦しく、加えて、例の酒場の"怪しくも陽気な、いかがわしさ"を醸す筈のスティールドラムの響きが生真面目なせいで雰囲気ブチ壊しの挙句、ダメ押しの幼稚な効果音の追加とくれば、もう開いた口も塞がらない(悪趣味のルーカスの好みか?どうせやるならベン・バートを呼ぶくらい、本気でやれ!)。サスペンスフルで人気キューのEP5の『小惑星空域』では、遅めのテンポ設定も相俟って、失速気味・空中分解の空疎な凡演ですっかりスリルとスピード感を喪失してしまっており、ついつい「そういえば、小惑星はジャガイモで造って撮影したんだっけ…」などど下らないことを思い出すほどシラけてしまう…。
演奏会用組曲仕様のアレンジ版とはいえ、全トラックとも、一貫してテンポを動かさず筋肉質なばかりで、幾ら何でもメリハリに欠き、締りが無さ過ぎる。オケ・マン達の理解を得られず険悪な雰囲気の中で難航したイギリスでのオリジナル録音時の苦労もすっかり「遠い昔、遥か彼方の良い思い出」となり、風光明媚なスカイウォーカー・ランチでリラックス気分に浸りながら本セッションに臨んだであろう、年を重ね録音時には還暦に手が届く頃だったジョン・ウィリアムス本人に、往時そのままの気迫を期待するのも酷な話であるし、作風の変化も当然影響しているだろう。再録スコアサントラの本盤が、映像テンポとシンクロしていないのは当然で、そのことを問題視つもりも毛頭ない。スコアの別解釈によって、新たな魅力を引き出し光輝いているなら聴き手として不満はない。再現芸術とはそういうものだからだ。しかし単に万人受けを狙ったビジネス・ライクな本盤には、そういった音楽的に価値ある意義も見出せない。それ以前の問題、音楽に命が吹き込まれていないこと、が明瞭である点にガッカリなのだ。
元々軍楽出身のジョン・ウィリアムス自身の嗜好も影響してか、彼自ら選抜したスカイウォーカーSymのいかにも「アメリカのマーチング・バンドでございますっ!」みたいなマッチョ系でカラっとカリフォルニア的な屈託無い音色に魅力を感じる向きもあるのだろう。しかし、一体感からくる知性や感情の陰影、人間的な温もり、というものがおよそ感じられない。ライト・リスナーにはそれでも十分なのかも知れないが―
「北欧神話の英雄譚を基としたワーグナーの長大な連作オペラの作劇法、映画監督エイゼンシュテインと作曲家プロコフィエフのコラボから生れた傑作群の方法論、それらを念頭に置いて視覚芸術(映像)と音楽の有機的結合を図るべく実際に自らもジョン・ウィリアムスと密接な関係を築いて製作に取り組んだルーカスは、そのことを指して、『SWサガはスペース・オペラである』とわざわざ自己解題までしているのだ…」
「そんなSWの音楽は、そのルーツはウィーンからハリウッドに逃れ30〜40年代に活劇映画のサントラで鳴らしたユダヤ人オペラ作曲家コルンゴルトの作風であって、独墺露系後期ロマン派の正統な系譜にも列なるハリウッド・サウンドの本流だ。であればこそ、自らもナチから逃れてアメリカに渡ったオスカー受賞歴もあるユダヤ系作曲家・指揮者のアンドレ・プレヴィンが、当時すっかり廃れていた黄金期のハリウッド・サウンドの復権を目論んだジョン・ウィリアムスのコンセプトに共感し、正にコルンゴルトやアルフレッド・ニューマン(『20世紀FOXファンファーレ』の作曲者)ら偉大な先達へのオマージュとして自身が音楽監督の任にあったロンドン響のサントラ起用を進言したのだ…」
―と理解するような聴き手には、寄せ集めスカイウォーカーSymの、モダンでブリリアントであっても、無機質で生硬、"クローン兵"のような演奏は、「良い子のためのファミリー・コンサート」の類いの満足感しか与えてくれないだろう。音楽は、楽譜通りに"上手"に演奏しさえすれば「正しく良く奏でられる」といった、単純なものではない(それどころか、わざわざテンポを落としているのに、技量不足から、いい加減なフレージングで誤魔化している奏者さえ目立つ)。いずれにせよ、本盤の問題は、特にアルバム・プロデューサー氏の理解の浅さ、目先の収益しか考えてないかのような志の低さに起因するように思われる(ご本尊のルーカス本人が、ダーク・サイドに堕ちてしまっているようだから致し方ないのか…)。はっきりとそれが「悪い意味でアメリカ的過ぎる」音作りに表れてしまっている。
聞くに堪えないSWスコア・サントラなど世に数多あるので、敢えて本盤を「駄盤だ!」とまでは言わない。しかし、その凡庸な演奏ゆえに、作曲家ジョン・ウィリアムスの限界まで改めて意識させてしまう残念な1枚だと思う。職業指揮者としても「やっぱり、ジェリー・ゴールドスミスに及ばない人だなぁ」と変に納得してしまう。本盤は、壮大なスペース・オペラの世界に聴き手を誘ってはくれない…
「はやぶさ」を統率した川口プロジェクトマネージャのいわば国民に対する説明である。 これを読めば成功に導いたものが一にも二にも「人」であること。そして、「おおすみ」以来の日本の宇宙開発技術の積み重ねであることも。NASAの協力そして世界初を巡る競争も。 知と根性が備わった強者に率いられて挑戦的な計画に皆が燃えたことも。 次々と起こる困難。背筋が凍るような絶望。それを乗り越えるアィデアの数々。そして解決。奇跡と呼ぶにふさわしい。 運をも呼び込み有終の美を飾った。 絶望と喜び。これ程の大仕掛けなしかも世界初がいくつも重なった成功例は歴史的にもそう多くはない。 広報も中々のものであった。 事業仕分けもそれなりの人がいればよかったのに。 責任逃れが横行する中で一陣の涼風が吹き抜けるようなカタルシスを感じた。
JAXAが派遣した小惑星探査機「はやぶさ」の冒険。
さも、実況さながらに気持ちのいい臨場感を伝えてくれます。
特におすすめなのは、巻末にある写真。大気圏突入の彼の「最期」です。
ここに至るまでの、川口博士の迷いや悟りを読むに、可愛い息子に寄り添うお父さんを見る思いでした。
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