実際に死刑確定囚の管理を任されている刑務官である主人公の、最終巻までの暫定的な死刑肯定の理由。
1.たとえ冤罪だとしても、死刑を実行することは犯罪抑制のためには必要。
2.死刑制度があるから、加害者は反省することができる。死刑制度がなければ、加害者は絶対反省なんかしないにちがいない。
3.加害者は反省すれば、死刑によって天国に行けるのだから、死刑制度はなくしてはならない。
4.被害者遺族は全員、加害者の極刑を望んでいるに違いない。加害者が死刑になれば、被害者の苦悩は軽減されるに決まっている。
5.死刑によって、復讐の連鎖を防ぐことができる。
1巻〜7巻までに、さんざん逡巡しているようで、結局は、現状維持が一番なのだと思い込んでしまう主人公刑務官の感情に拠りかかった結論には、がっかりしました。彼も所詮、あの世には天国と地獄があり、罪を悔いれば天国に行けると信じている何らかの宗教信者である、一公務員に過ぎなかったわけですね。彼の頭脳に、死刑に賛成か、反対か、という一般的な二択以上の新しい発想が、最後まで浮かんでこなかったのは残念でなりません。
主人公の自己満足な思い込みや行動はさて置き、この漫画では、死刑囚の様子や、日本の死刑の方法が詳しく描かれていて、読者が日本国の死刑のあり方を考えるヒントはたくさんちりばめられています。
1.無期懲役囚は減刑されて仮出所することもできるのに、死刑囚はいくら反省しようが被害者や遺族に謝罪しようが、冤罪だろうが、減刑されない不平等。
2.そもそも刑が確定しても、法律の規定通りに速やかに処刑が行われない怪。
3.事実上、物的証拠より自白・供述があれば、誰でも死刑にされる裁判のあり方。
4.死刑の方法が、いまだに絞首刑がまかり通っている現状。
5.一回の処刑に、時の法務大臣以外で、五人もの刑務官(=人間)が、刑の執行ボタンを押す連帯責任制度(自分の押したボタンは外れだったに違いないと、本気で安堵する者など、いるのでしょうか?)。
などなど。
死刑制度について、この漫画全7巻読破したうえで、多くの読者に、主人公とは違う考え方を模索してもらえたら良いのですが。
郷田マモラさんの作品集のなかでも飛び抜けて素晴らしい作品と評価と高いモリのアサガオ
番外編を以って完結也と言う感じでしょうか?
オススメ出来る作品だと思います
今年2009年から導入される「裁判員制度」。実施に先がけて、その「光と闇」を描くというテーマで執筆された本作。主人公のフリーターが、自分と境遇の重なる殺人事件の被告に複雑な思いを抱きながら、裁判員制度を通して「何が本当の悪なのか?」と向き合う、という形でストーリーが進行しています。 この上巻を読んだ限りでは、伏線が目立ちすぎていて、なんとなく結末が見えてしまっている印象があるのですが、良い意味で裏切ってくれることを楽しみに、続刊を待ちたいと思います。
全編通して泣きますが、3巻を手にして読んだ時、涙が止まりませんでした。
たとえ人を殺めたとしても、 誰かを傷付けたとしても、 それが遅すぎたとしても、
ひとつのきっかけで人間は変われる。
現実世界で生きる自分達にそう伝えてくれる作品です。
本巻では被害者家族の問題にかなり大きな部分が割かれている。
死刑を継続していく理由として、「被害者遺族の気持ち」というのがある。しかし、本当の遺族感情とは、どういったものなのか、私を含め、被害者遺族でない人は、彼らの本当の気持ちを分かっているのだろうか?
まず、本巻で描かれる事実関係について簡単に触れておきたい。
一つめに、死刑囚と被害者遺族の面会は、現状においてほぼ行われていない。しかし、作中でも、主人公の刑務官・及川弘樹が言うように、決して法律上禁止されている行為ではない。主に拘置所所長の裁量で決められている(当然だが、上級組織などから一定の足枷が課せられている可能性はありえる)。
もう一つ、被害者遺族が死刑囚の助命を嘆願したケースも少ないながら実在する。決して、著者が自身の物語を面白くさせるためもしくはその主張のために作り上げた全くのフィクションではない。
おそらく、『弟を殺した彼と、僕。』を郷田マモラ氏も読んだのではないだろうか?
上記の2点については、同書の著者の行為と重なっている。
死刑の存廃を論議する前に、本当の遺族の気持ちの在り様こそを知ることが必要なのではないだろうか?
改めて、その思いを強くした。
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