この三日間で1曲目の"Something Is Squeezing My Skull"を軽く100回以上聴いている。完全に中毒だ。はじめは「えらいパンクっぽいというか、ストレートな曲調やな。メロディ的には結構"Ask"っぽいかも…」とか思ってたのだが、歌詞を読んでヤラれた。スミス時代の"Still ill"のパワーアップ版と言えばいいだろうか。つまり、「一体いつまでこんな事(=鬱病の治療)を続けなくちゃいけないんだ!?」という歌なのである。それを踏まえて耳を傾けると、曲の後半で連呼される「もういい!やめてくれ!お願いだから!」のリフレインがすごく痛々しいというか、シャレになってないと言うか…。
タイミングというのもあると思う。ちょうど最近「そろそろちゃんと医者行って薬もらって飲んだ方がいいのかもな…」という気持ちにさせられる出来事が続いたこともあり。かつ、自分が福祉関係の仕事をしてる中で「相手がけして求めていない事をこちらの都合で無理矢理押し付ける」という行為について、根本的に考えさせられる事例に出くわしたこともあって。得てして「善かれと思って」こちらはそういった介入を行うのだが、そういう「善意」や「親切心」は結局相手の立場や心情を無視もしくは否定した上で成されるので、相手からすれば「お節介」や「大きなお世話」、エスカレートすれば「精神的苦痛」を引き起こすハラスメントにもつながるという…。そう考えてみれば、自分がこの数年間他の誰かから受けた仕打ちや逆に自分が他の誰かに対してずっとしてきたことは結局、相手を自分の意に従わせよう、都合良く操ろうという「コントロール欲求」に根ざしたもので、本当に相手のためを思ってのものではなかったんだろうという結論に辿り着く。それじゃあうまくいく訳はないよ、破綻して当然じゃないか、と普通の人なら簡単に理解できることに気付いたのは40歳到達2ヶ月前。
唯一の希望があるとすれば、この曲を歌っているモリッシーその人の歌声が朗々としていて、彼自身はそういう状況をユーモラスに描こうという余裕を感じさせる、年相応の恰幅のいい52歳の紳士になっているという事実である。うちの父親がガンで亡くなったのと同じ歳だ。ちなみにアソシエイツのビリー・マッケンジー(「ウィリアム」その人である)が自ら命を絶ったのが39歳…。「なんてこった」である。
この本に興味のある方は既にモリッシーとジョニーマーに興味のある方たちだろうと思うが、この本にて、彼等の存在が自分にとって何なのか、漠然としていた答えが明らかになるかもしれない。 スミス時代はもちろん、知られざるモリッシーの過去や、両親の離婚、姉の恋人に対する嫉妬心、友人の死、ほとんど登校できなかった学生時代、シリアスな事もあれば、モリッシーらしくとてもユーモアのあるおもしろいエピソードも多い。 実はモリッシーは運動神経が抜群だったなど、おおよそ想像のつかないモリッシーがかかれている。 ピアノ、ギター、サックス、あらゆる楽器に手を出してはどれもものにできなかった少年が、自分は歌えるのだという事に気付き、ジョニーマーに出会いそれまでの事を鮮やかに乗り越えてゆく様は感情移入無しには読めないのではないか。 モリッシーの事をどうしようもなく愛したくなってくる。 声、才能、それを愛してしまいたくなるモリッシーの武器はこれなんだと思う。 スミスやモリッシーファンならば誰もが知りたいであろう10代のモリッシーがここには描かれている。 ちなみに少年時代のモリッシーやジョニーマーの写真も掲載されている。
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