トロイア戦争でトロイアを滅ぼし、さらにペルシャとの戦争で勝利したギリシャは地中海世界の覇権国家となり繁栄しました。
そしていつの時代でもそうであるように覇権国家は政治だけではなく文明と文化の中心でもありました。
地中海世界のすべての国が、先進国家となったギリシャの文化や文明に憧れ、それを学ぶようになり。
古代エジプト文明から始まるとされるヨーロッパ文明と文化の中心は、ギリシャとなりいっそうの飛躍を遂げることになりました。
さらにその文化を継承したローマによって、ギリシャの文化は地中海沿岸に留まらずヨーロッパ世界全域で普遍のものとなりました。
だからこそキリスト教が広まった後も、ギリシャの神々の名や神話は、他の多くの神話や伝承と違い
途絶えることはなく、延々と語り継がれていますから、ヨーロッパの文学や芸術などで、ギリシャ神話の存在は欠かす事ができず。
サンドロ・ボッティチェのビーナスの誕生など、ギリシャ・ローマの神話を題材とした芸術も数多く残されています
実際に、神話に触れることは、それだけこうした事実を深く掘り下げて知ることができるでしょう。
本書の作者トマス・ブルフィンチは、1796年にアメリカでマサチューセッツ州生まれ
旧約聖書の詩篇の翻訳など手がけるなど、古典文学の研究や評釈を行い
1955年に出版された「伝説の時代」が同じ年に出版されたホイットマンの「草の葉」と共にベストセラーになりました。
この「伝説の時代」を翻訳したものが、本書「ギリシャ・ローマ神話」です。
ブルフィンチはこれらの書で、アメリカ人にアメリカの祖国とも言うべきイギリスやヨーロッパの古典文学に触れさせ、その造詣を深めさせる事を目指しました。
この「ギリシャ・ローマ神話」では、神話を紹介するに止まらず。
聖書やヤングやシラーなどの古典文学を引用するなどの評釈を行うなど文学を重視した構成です。
新潮文庫から出されている呉茂一氏の「ギリシャ神話」が歴史を重視した評釈と本書は対照的と言えるでしょう。
また、本書で割いたページは少ないですが、インドや北欧神話も本書に記され
ギリシャ神話の頁同様の評釈で、後の文学や歴史での神話の世界を知る事もできます。
ご存知、ヨハンナ・シュピリの名作。数十年の年月を経た今でも、ページをめくる度に、「アルプスの山の中」やハイヂをはじめとする登場人物が今にも飛び出してくるような、躍動感、息使いが感じられます。
旧仮名遣い、旧字体による作品で少し読むのは難がありますが、この作品の中に一貫として流れている、「神と人間との和解」というモティーフが生き生きとした文章で再現されています。アルプスの人里離れた山奥で、神を忘れた生活をしていたアルムおじさんが、ハイヂという一人の女の子を通して、今一番神様に愛されているのは自分である。長く離れていても、神は人を見捨てない。ということを思い出させ、山里に降りて人々と和解します。
日本人にはアニメでのイメージが強い作品ですが、原点の作品に触れ、本物のメッセージを感じ取ってみてはいかがですか?
訳は大正時代を代表する名作家の野上弥生子さんによる名訳です。
この本で、随筆家としての野上弥生子の鳥瞰ができる。年代順に編集されているので、その時の作者の関心がよくわかる。 各随筆は、構成も堅牢であり、読み応えがある。特に、漱石の思い出、伊藤野枝についての随筆は、迫力がある。 読んで得るところが多い。
1907年のデビュー以来、80年近く執筆活動を続け、『迷路』『秀吉』『森』といった傑作を残し、100歳を目前に亡くなるまで現役であった野上彌生子の評伝。
冒頭で作家・野上彌生子の誕生にかかわる文学の師・夏目漱石とのかかわりが描かれた後は、大分県臼杵での誕生から、東京での女学生時代、野上豊一郎との結婚生活や作家生活をほぼ時系列に沿って辿っている。
読みながら感じていたのは、野上彌生子が非常に恵まれていたということである。
何よりも、当時の日本人女性としてはほぼ最高の教育を受け、さらには東大出の英文学者・豊一郎と結婚した後は、家事よりも「勉強」という日々を送っていたことなどを読んでいくと、ただ驚くしかない。それでも、第二次世界大戦中には、食糧を蓄え、蔵書の一部を巧みに疎開させたりするようなしたたかさを持つと同時に、人の外見や出自や血統に拘ったことも描かれており、その作家活動や作品から受ける印象とは違う面も持っていたようである。
また、中勘助への初恋(著者は、豊一郎との結婚後と推定している)や68歳になってからの哲学者・田辺元と恋(豊一郎はその3年前に死去している)などを書簡や日記を丁寧に読みほぐしながら、細やかな筆致でその実相を浮かび上がらせている。そして、老年での恋愛もさることながら、70歳前後になっても彌生子が田辺に導かれながら哲学に対してかなり熱意を燃やしていたことやNHK教育テレビの語学講座をいくつも楽しみにしていたことなどを知ると、その強烈な“知”へ欲求には圧倒される。
その規則正しい執筆生活や作品に登場する人物たちの生活などを考えると、文壇での評価も含め芹澤光治良と近いものがあるような気がする。
『迷路』は個人的に好きな小説の一つだが、この作品は知名度などを考えると、奇妙なほど文芸評論家が取り上げない作品である(読売文学賞を受賞はしている)。完成からすでに半世紀以上経過しているが、私が知っている限り、学者の研究を除くと、真正面からこの作品を論じたのは篠田一士、加賀乙彦、ドナルド・キーンの3氏だけである(篠田や加賀も、この作品が論じられない不思議さを指摘している)。
この評伝を読み終えて、その状況がなぜに生まれたのか、納得がいった。一つは、野上彌生子が文壇の外にいたこと。もう一つは、19世紀のイギリス小説を範とした作品世界。そして、小説創作の根幹に徹底して“知性”が横たわっていたこと。おそらく、こういった文学作品を評価する“物差し”は日本ではまだ確立されていないということだろう。
なお、100ページに登場する英語学者・市河三喜は江戸時代の漢詩人・市河寛斎、その子で書家としても知られる米庵の子孫でもある。
「西欧の芸術文化を理解するにあたって、なくてはならない知識」は神話に 次いで騎士物語である、との考えのもとに翻訳出版された書。 原典は米国のThomas Bulfinch (1796-1867)のThe Age of Chivalry(1858) で、いささか古いが、広範囲にわたる記述で、騎士物語に関して幅広い知識が 得られる便利な本である。 まず、当時の騎士や社会に関して概略的に述べた後で、リア王なども登場する 英国史を概観し、続いて『アーサー王の死』をもとにしていると思われる、 一連のアーサー王物語群が展開される。さらに、ウェールズの中世騎士物語集 であるマビノジョンが語られ、マロリーのものとはまた違った騎士物語が堪能 できる。 背景的な知識と、物語とが同時に楽しめる一冊。字が小さいので、ワイド版も お薦めする。
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