この小説のテーマはまさに「資本主義」。 欲望という名前の電車に乗って、もとは南部のお嬢様だった彼女は ニューオーリンズの妹を頼り出かけていく。 大きな屋敷は抵当に入り、身を売って生活していた彼女だが プライドのみが高く、誰からも受け入れられることもない。 見た目だけ着飾り、中身は愛情を求めてただ飢えている女。 そして、その妹ステラはポーランド出身のスタンリーと、 かつての生活ではないものの幸せな生活を生きている。 対照的な二人、そして生きることに向いているのはステラ。 ブランチは最後精神をやんでしまう つまり彼女は「負け組」なのだ。 この作品はかなり昔の作品であるにも関わらず、 なぜか今の現代社会を露呈している作品だ。 蜷川幸雄演出で大竹しのぶがブランチを演じ、 映画ではあのビビアン・リーがブランチを演じている。 欲望とは何か。 買うことなど決してできることのない愛情を、お金で買うことなのか? 人間の本質を問う傑作だと思う。
ヴィヴィアン・リー、マーロン・ブランド(義弟役、20代のマーロン・ブランドは端正な顔立ちで驚きました。地獄の黙示録やゴッドファーザーの印象が強かったので)。 名家出身で美貌と知性を持ち合わせる誇り高い女性、ブランチ(ヴィヴィアン・リー)、しかし老いの恐怖に苛まれ神経も細い女性、その義姉を暴言で傷つけ罵倒し、暴力行為、最後はブランチの隠していた過去を晒し強姦し、彼女を精神病院行きにする義弟スタンレー(マーロン・ブランド)、その2人の演技合戦だけでも観る価値があると思います。ブランチの妹ステラは何故スタンレーと結婚したのか?と憤慨しながら「時代が違うし仕方がない」と半ば諦めの感情を持ってしまいました。そう思わせる俳優達の演技も素晴らしいです。重い映画でした。何か、身につまされました。
文学座に生まれ、文学座で生き、文学座で力尽きて消えていった女優杉村春子が、どんな風に生きたかを、彼女の仕事と愛に集中して、解き明かそうとしたのがこの本。激動の日本のほぼ一世紀を、激しく女優道を走り抜けて逝った 杉村春子の生き様を語りながら、新藤は、自分自身の芸術論を展開している。 人は生まれた土地の風土に生涯影響を受ける。杉村春子が広島に生まれ、芸者の子に生まれ、里子に出され、色町に育ったことが、彼女の生涯と芸を決定したーーー明るく健気できびきびした杉村には、”生きる健気さ”の役所の小津安二郎作品には向くが、ドライで無味乾燥な未開の新世界の作品・T・ウイリアムズの「欲望と云う名の電車」のブランチは、適役ではなかったと云う。 一時として愛がいなければ生きてゆけない杉村は、3人の男を貪るように愛し、そして、男達は、杉村にタマシイを吸われるように死んでいった。森本薫は、杉村の体を通して自分自身を生きるために「女の一生」を書き、杉村は、森本の本の中で生きるために「女の一生」を演じ続けた。戦中の二人の激しい不倫の恋が切ない。 映画の中の杉村に、スターではなく女優を見た新藤のオマージュが随所に語られているが、正に、あの最後の映画「午後の遺言状」が、新藤の杉村像の結論であろうか。芝居はよく行くのに、杉村春子の舞台をミスったのが残念だが、この本で、稀代の名女優を描こうと執念を燃やした新藤の情熱に感激した。
ジェームス・ディーン。彼の魅力は、甘いマスクと少年の輝きを持ったオーラにある。そのディーンが憧れた男、マーロン・ブロンド。彼の魅力の中に、少年の輝きは見られない。あるのは、たくましさや野性的な咆哮。見通しを持たずに走り出せる強み、そして、男として見せるもろさにある。打算やしがらみに縛られた男達に、なにかを語りかける映画である。
|