世界中がアイ・ラヴ・ユー ―デジタル・レストア・バージョン― [Blu-ray]
この作品はウディ・アレンの映画の中でも大好きな映画だ。誉める言葉はいくらでも思いつく。ナタリー・ポートマン等若い才能の起用。楽しい歌とダンスが一杯。ジュリア・ロバーツが下手ながら一生懸命歌う、インド人のタクシー運転手も何語かしらないけれども歌う、病人や霊魂も歌い踊る。極めつけは宙を舞うゴールディー・ホーンとウディのダンス。笑える場面も多い。そして人生に対して肯定的なのがいい。キャラクターが全員束の間の一瞬であっても現在を精一杯生きて楽しもうとしている。
一つ気づくのは、本作のウディとゴールディの関係は、アニー・ホールでのウディとダイアン・キートンの関係を踏襲していること。本作は離婚した夫婦である等の違いはもちろんある。何より主役の男女が相応の年齢で、成長した子供がいる。さながら20年後(米国公開年で数えれば19年後)のアニー・ホールと言えば穿ちすぎかもしれない。しかし、ゴールディがアニー・ホールでのダイアンのような装いをしている場面を見るとそう思ってしまう。100%楽天的な映画なのだが、どこかに感傷が隠れているとすれば、アニー・ホール再訪的な構成も一因ではないだろうか。
なお、画像のクォリティは文句なし。音はモノ。特典映像は一切なし。
R35 Sweet J-Ballads
1.SAYYES(CHAGE&ASKA)2.君がいるだけで(米米CLUB)3.何も言えなくて…夏(JAY WALK)4.GetAlongTogether〜愛を贈りたいから〜(山根康弘)
5.TRUELOVE(藤井フミヤ)6.シングルベッド(シャ乱Q)7.離したくはない(T-BOLAN)8.クリスマスキャロルの頃には(稲垣潤一)9.Woman(中西圭三)
10.夏の日の1993(Class)11.もう恋なんてしない(槇原敬之)12.サボテンの花〜“ひとつ屋根の下”より〜(財津和夫)13.接吻 kiss(オリジナル・ラヴ)
14.壊れかけのRadio(徳永英明)15.愛が生まれた日(藤谷美和子・大内義昭)16.世界中の誰よりきっと(中山美穂&Wands)
TVからふいに流れてきた“綺麗な指してたんだね”にやられてしまった。なんて紳士的で優しい声だ。思えばあの頃のラブソングには心があった。言葉じりじゃない温かみがあった。ノスタルジーからだけでなく、今も力を放つ曲達の実質的な深みがあるから。
先日「101回目のプロポーズ」を見た。バーン!という華々しいE♭コードの後軽やかなピアノが入る「SAYYES」がこの感動を担っていたことがよくわかった。「君がいるだけで」は紅白の名演からロングランに。これもサビメロと詞で神がかっている。両曲とも大ヒットしたせいで少し疎遠になっていたが、本当にすばらしい歌だと実感。
「Get Along〜」を聴くとたまらなく黄昏てしまう人も多いはず。稲垣や槇原の天才的なPOPSは、ついあの頃の冬を思い出す。そして「サボテンの花」。その優しく素朴な声が、静かに染みて涙腺が熱くなる。こんな心があの頃のドラマにはあった。
「接吻」は音的にクールで今も歌っている曲。「壊れかけの〜」は昨年紅白で物凄い反響を呼ぶ。「愛が生れた日」「世界中の〜」はカラオケの楽しみと共にあった。
世界中がアイ・ラヴ・ユー [DVD]
ウディ・アレンと、彼の別れた奥さんの家族達の恋模様を、ミュージカル仕立てにした映画です。ウディ・アレンが作るお話は、ドタバタ喜劇の中にも、人生に対する悲しみや諦めがこめられたものが多いと思いますが、この映画の中では、その色は比較的薄く感じられます。
今、改めて出演者の名前を見直すと、かなりビックネームな人たちばかりですね。顔が観客に認識されている俳優を多用したおかげで、救われている部分もありますが、それでも、登場人物が多すぎて話が散漫になってしまったきらいがあります。理想の恋人では結局満足できなかったジュリア・ロバーツ、マリッジブルーからか犯罪者に恋をするドリュー・バリモア、別れた妻に今でも惚れてるウディ・アレンなど、いろんな恋のお話がギュウギュウに詰め込まれていて、みんな中途半端な印象を受けました。
が、まあ、それがウディ・アレンの意図するところなのかもしれませんね。うまくいく恋なんてあんまりないからこそ、世界に恋は満ち溢れている。そして、だからこそ、一つ一つにそんなに執着しないで、楽しく生きていこうよ、というメッセージだったのかなあとも思います。
世界中がアイ・ラヴ・ユー オリジナル・サウンドトラック
これほどゴージャスでエレガントでロマンティックですっとぼけたCDもないと思う。
映画同様、何度見ても何度聴いても、本当に楽しくて素敵。
こーいうのがもっとあればいいのに~っ!
世界中がアイ・ラヴ・ユー (ホットミルクコミックス 288)
女流的(イメージが1991年出版な鈴平ひろ女史の「儀式<リチュアル>」)な作風。
ってことは、もう20年以上も古なってことかいな?!
巨乳(一部妹ちゃんはつるぺた)やお尻のアップは、アップを多用する東雲龍女史を彷彿とさせるも、ウエストがきゅっとしまってて、アンバランスな体系であることこの上なし。
それに比較して、断面図が織り込まれたり、肉坊が噴出した男液にまみれて無臭っていうところがG.J.ってかな。
次回作ではちょっと無理ヤリっぽい暗めのシナリオ構成を、ポップなラヴラヴの明るいHに転換していただければ、表紙のキャッチーキャラに合うんでは?