本作の初見は20年以上前、記憶に強く残っていたシーンは、D・サンダとS・サンドレッリが踊るタンゴでした。 赤・白の色彩で縁取られたダンスホールの窓から差し込む青ざめた光の中、アール・デコ風のモノ・トーンのドレスで身を包んだ二人の女優が美しく、妖しく官能的な映像美に酔いしれました。 当時若干19歳とは思えないD・サンダの美貌と、成熟した女性の香りは驚くべきものがあります。 もう一人のヒロイン、S・サンドレッリの退廃的な美貌も魅力的でした。 DVDパッケージにも使われた名シーンは必見。 その他にも、赤・青・白の象徴的な色彩を使い、窓枠などの直線的なラインで切り取られたシーンの数々は、美しいステンドグラスや、光と影の魔術師・天才画家カラヴァッジョの絵画を見ているようでした。
ヒトラー同様、ムッソリーニが熱を入れたローマ市内のファシズム建築が、劇中効果的に舞台背景として取り入れられています。 コンクリート・鉄・大理石という冷たい素材を用い、曲線のフォルムを極力排した直線的・幾何学的な建造物を背景に撮影された映像が多く、当時のファシスト政権下のイタリアを覆った無機質で冷たい灰色の空気を濃厚に感じられました。
マルチェッロが愛してもいない女(S・サンドレッリ)と結婚式を挙げる直前、教会で懺悔しますが、その時に彼が「人と同じでありたい」と順応主義者になった重要な動機が語られて、大変興味深いものです。 「教会では(人の命を奪う罪よりも)同性を愛することの方が罪らしい」という台詞が重要な鍵にも思えました。 登場人物達は、卑劣で退廃的で感情移入できる人物がいない点が特徴で、ファシスト政権下で保身に走った中産階級・富裕層、知識層の立ち位置が、うっすらと見えてくるのかもしれません。 主役のマルチェッロを見ていたら、なんとなく「ラストエンペラー」の溥儀を想起しました。 この当時マルチェッロだけが卑劣な順応主義者ではなかったことが、ムッソリーニ失脚後の民衆の行動で表現されています。 解説によると、ラストは原作とは大きく異なるとのこと。
原作はモラヴィアの「孤独な青年」(原題は「同調(順応)主義者」。 DVDの付録冊子は、読みごたえがあり、あらすじ、作品解説、監督インタビュー記事等、大変興味深いものでした。 当初のキャスティング構想、有名な「ゴダールの電話番号」の件、原作とは異なる部分についても解説されています。 特典映像は「暗殺の森」「フェリーニの道化師」「ロベレ将軍」の予告編とフォトギャラリー。 本作が日本で初公開された時は、ベルトルッチは日本ではまだ無名、二本立て扱いで不入りだったとのこと。後に名画座で上映されて本作とD・サンダの人気に火がついたというカルト・ムービーです。
長らくDVD化を待ち焦がれていた作品だった。わたしの大学時代に公開され見た映画の中でもっとも愛着のある作品なのだから。イタリアはすぐれた映画作家を輩出した国で、ロッセリーニ、デ・シーカ、フェリーニ、アントニオーニ、ヴィスコンティ、パゾリーニといる中で、もっとも若く才気煥発な傑作を1970年代に発表していたのがベルトルッチだった。「暗殺のオペラ」「暗殺の森」「ラストタンゴ・イン・パリ」ときて、この「1900年」で彼は作家としてのピークを迎える。日本公開は映画完成から6年後の1982年秋。わたしはその年の10月29日に新宿文化シネマ2の満員の中で観賞した。以来、一度も全編を通して見たことはない。あの時の重厚な感銘の記憶を損ねたくなかったからだ。でも、もう封印を解く時期だろう。物語の内容は他の方が書いているので、わたしが書くまでもない。特筆しておきたいのは、若き俳優たちの美しさだ。デ・ニーロ、ドパルデュー、サンダ、サンドレッリというまばゆくも美しき俳優たちのなんという凛々しさ。特に、わたしはドミニク・サンダが好きなのだが、彼女が結婚式の後、黒いマントを羽織って白馬に乗り、薄もやの林の中を疾走する場面には陶然とさせられた。ベルトルッチの映像感覚の鋭さを実感したシーンでもあった。その後、ベルトルッチは1980年代以降も映画を撮り続けたが、私見では「シェルタリング・スカイ」以外見るべきものはない。「ラストエンペラー」という凡作でアカデミー作品賞を取り、世界的にヒットしたことは、何か悪い冗談のような気がしてならなかった。しかし、作家はその最高作で評価すべきというのがわたしの信念だ。この「1900年」がある限り、ベルトルッチはわが最高の映画作家の一人であることは間違いない。
恩師の暗殺を手引きするファシスト青年と美しい女性二人と最美で華麗な映像。カメラ。暗殺場面の森のシーンは凄い。なんだか。そこだけ何度も見たくなります。美女二人のあまり物語的に意味のないダンスシーンも同じで何度も見たいなんだか凄いシーンです。
|