インドのサタジット・レイ監督によるオプー三部作の第2作。
オプーのベナレスでの少年時代からカルカッタでの大学時代までを描いていますが、まずはベナレスの有名なヒンドゥー教の聖地であるガンジス河のガートを撮影したモノクロ映像が素晴らしい。 河を舟でゆっくりと下りながら沐浴する人々を撮っていますが、日常生活に密着したヒンドゥー教の姿がそのまま飾ることなしに撮影されています。 私自身、一度ここを観光旅行し、同じようにボートで河を下ったことがありますが、外国人が増えただけで、河、建物、牛、人々の姿・・ほとんどこれと同じでした。「悠久」とはこのことです。 ガンジス河流域の狭い住宅街での生活描写も見事で、たくさんの人間と動物が出てくる映像から生活の臭いがしてくるようです。
ドラマとしては、第1部「大地のうた」と第3部「大樹のうた」に挟まれた「つなぎ」みたいな感じもしますが、オプーが通う小学校や大学生活の描写に「大地のうた」では見られなかったユーモラスなところもあり、やはりインド芸術映画の佳作だと思います。
「平家物語」に収録されている和歌を紹介した本。平家一門のみならず,源氏武者や宮中の人々の歌も余さず記載されている。 ほとんどは,清盛が死去して源平の合戦が始まり,一門が都落ちして衰退していく中で詠まれたものが多く,涙を誘う。 美しくも悲しい歌の一首一首に,人の世の哀れさ,はかなさを感じずにはいられない。
サタジット・レイ(母国の言葉ではショトジット・ライと発音するそうである)監督は、インドが生んだ大監督である。第二次世界大戦後、欧米では、ライ監督と黒澤明監督が、アジアの二大監督として、その名を広く知られた時期が有り、日本でも、ライ監督の作品は、高い評価を得て来た。
私は、1970年代に岩波ホールで上映されたライ監督の『チャルラータ』、『ミドルマン』、それにこの『大地のうた』『大河のうた』『大樹のうた』三部作他の作品を見て、深い感動を受けた。私自身、まだ観ていないライ監督の作品を観たくてたまらないが、どうも、若い人達が、ライ監督の映画を余り知らない事が残念でならない。
この三部作の中で私が一番好きなのは二番目の『大河のうた』である。この映画に描かれた母と子の物語は、忘れる事の出来無い物である。又、この映画(『大河のうた』)には、西欧とインドと言ふ主題が隠されて居る事も見逃せない。『大地のうた』の自然描写の素晴らしさも忘れられない。−−私は、あの、水の上に雨が降り始めるシーンが、大好きである。−−
若い人は、是非、この三部作を観て欲しい。この三部作は、あなたの人生に、必ず影響を与える筈である。
(西岡昌紀・内科医)
故黒澤明が推していたという安易な理由で観たのですが、すばらしい映画でした。
これが本当に1955年のインド映画なのかと、見縊っていた自分が恥ずかしくなりました。
黒澤明の映画にも共通する、”時代の風潮”を隠しスパイスとして取り入れており
最後までどっぷりその世界観に浸ることが出来ました。
これだからモノクロ映画はやめられません。
インドのサタジット・レイ監督によるオプー三部作の完結編。前2作同様、とにかくモノクロの映像が美しい。 オプーがカルカッタ駅付近を歩く姿、友人と舟で河を遡る場面、放浪の旅で目の当たりにする大自然・・などなど詩のような映像が随所で楽しめます。
俳優陣では、登場時間は長くないもののオプー妻が素晴らしいです。 縁談のトラブルから突然オプーと結婚することになった不安、カルカッタに来たときの哀しさ、そして美しく賢い新妻ぶりなどを、小さい動作と少ない言葉で表現する演技は本当に見事。 特に、新妻がカルカッタのオプーの小さな部屋に来て、密かに悲しみの涙を流すものの、窓から近所の子供を見て、精神的に立ち直る場面は、ひとつのセリフもないのに、彼女の気持ちの動きがひしひしと伝わって感動的。 妻が妊娠し、いったん実家に帰ることになる過程も、ひとことも「妊娠」という言葉が出てこないのに、見る人にそれを知らせるところも感心させ、その後彼女を失った後のオプーの喪失感が一層大きく伝わります。 振りかえると、この三部作ではいずれも女性がとても良く描かれているように思えます。
オプーの子供役も良く、父親を知らず、祖父にしかられてばかりいる哀しい目が印象的で、それゆえオプーと再出発するラストシーンはとても良いです。
最近では歌や踊りが満載のインド娯楽映画の楽しさが広く知られ、良い映画もたくさんありますが、 巨大なドラマでもなく、大きく盛り上げるわけでもなく、シタールなどの民族楽器を背景に、品格を持って淡々と人生を描きながら静かで大きな感動を生む・・このインド芸術映画はいつまでも残る傑作です。
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