どうしても見たくて、以前、英語字幕DVDで鑑賞した。
日本語字幕版発売とは夢にも思わなかったが、これは嬉しい限りだ。
脚本・初監督のファビアン ビーリンスキーが冴えている。
アルゼンチンで大ヒットを飛ばしたコンゲームもので、ブエノスアイレスならではの物語と言える。
どいつもこいつも胡散臭くて怪しすぎて、しっかり用心して見ていたにも関わらず騙されちゃうんだが、
これが爽快なんである。
副題?としてついている「ガストン・ポールス」ももちろん主演と言っていいが、
これはなんといっても「リカルド・ダリン」だろう。
この胡散臭いおっさんは、作品が異なれば知的で物静かな男も演じるから驚きである。
フェビアン&リカルド・ダリンで作った2作目。「El Aura」も高い評価を受けている作品で、
これも日本語版で出してくれたらと願うばかりだ。
昨年の流行語大賞にはノミネートされなかったものの最も世相を表す言葉として「無縁社会」という言葉がある。少子高齢化が猛烈なスピードで進行するこの国が抱えている最大の問題、それは人と人を繋ぐはずのセーフティネットが綻びだらけであることの証左でもある。 高齢者の一人暮らしといえば以前は女性が多いとされていたが、現在そして今後はそれに代わって男性の一人暮らしが圧倒的に増えることは確実視されている。長年勤めた会社からリタイアしたものの「行くべき場所がない」ことに初めて気がつき茫然と立ち尽くしている。そんな姿は決して珍しくもない。 「自分が働くことの意味や目的は何にあるのか」と自ら問うこともなく、ただ会社組織の中で働き続けるだけで社会との接点を求めることをしないで生きてきた。そして定年或いは途中でのリタイアを余儀なくされて残ったモノは何だったのか、とその時になって初めて気づく空しさと寂寥感。 本書を読むとこうした日本の現実が如実に浮き上がってくる。とはいえ本書は日本を考察の対象としたわけではない。1980年代のイギリスに見られるサッチャリズムとそのバックボーンとなったレーガノミックスに象徴される「自己責任論」の検証とそこから我々が何を学び、パブリックとして国家にどう関わっていくか、が主眼となっている。 「ゆりかごから墓場まで」と喩えられる社会保障システムの変更、更には「教育改革」を行ってきたサッチャー・メージャーそしてブレア政権の政策はイギリスが属するヨーロッパ世界が持つ本来の姿とは遠くかけ離れたモノばかりだった。70年代以来の経済不況から脱却するために彼らが選んだモデルは大西洋を挟んだアメリカの市場原理主義の導入だったがそれは目先の効果はある一方、副作用の強い劇薬でもあった。 国民の教育水準を向上させるとして導入されたナショナル・カリキュラムとナショナル・テストの実施、殊にナショナル・テストが残した結果は成績による公立学校と学童のランク付けによる「分化」すなわち“勝ち組・負け組”という新たな階層分化だけであり、主目的たる国民の学力水準は本当に上がったのかとの議論は今もなお続いている。 議会制民主主義の発祥の地としてのヨーロッパは市民革命という歴史的経験を経て、権利を行使するパブリック(=国民)は同時に公共に対しての責務を負って政治に参加することを自覚している。こうした点はこれからの日本国のありかたそして国民自らが政治に対してどう向き合うか、を問う時に大きな参考となるだろう。 サブタイトルは『これからの社会民主主義を語ろう』となっているが、これは一つのイデオロギーを示す用語ではない。ましてや「小さな政府か大きな政府かの選択」といった単純な問題を指すものではない。私達が歴史の主体として或いは公共としての国民となり如何に主権者として国家と関わっていくか、を考えようとの現代史家のラストメッセージである。
真空管アンプビルダーの "ぺるけ" 氏の ページに載っていたので, 出会うことができました.
大人のしみじみ, いい声です.
曲をかけると時間がゆっくり過ぎるような.
リラックスの時にお薦めです.
『第三の道』を読んでいないと、これだけでは理解が難しいし 批判についてもあまり整理されていないように思える。
この映画のいちばんのアピールポイントはなんと言っても主題歌である。 Johnny Hortonが歌うゴールドラッシュのアラスカのイメージ。泣けてくるほど好きな曲である。 ジョン・ウェインはこの作品を楽しみながら演じているように思われる。 1900年前後のアラスカが舞台だから西部劇ではないのに、西部劇の雰囲気を漂わせている。 ジョン・フォード監督の下で、シャイなアメリカ男を演じたジョン・ウェインが気楽に演じているという観点で、好きな作品の一つである。
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