著者マイケル・ルイスは卒業した高校で今も野球を教える名物コーチ「フィッツ」に関して二つの相反する噂を耳にします。一つは、フィッツのかつての教え子たちが彼の名を冠した運動場を建設しようと運動しているというもの。もう一つは、今の教え子の保護者たちがフィッツをクビにしろと校長に迫っているというもの。 生き方を教えてくれた恩師フィッツに何が起きているのか? 故郷へ赴き、取材を始めた著者の目に映るのは、今の子供たちが過保護ともいえる親の愛情に包まれて育ち、フィッツの繰り出す過酷な叱責に耐えられなくなっている姿です。「自分で三塁打を打たなくても、生まれたときから三塁に立っているような」良家の子女にとって、「人生に真正面からのぞんだときに必ずぶつかる二つの大きな敵」=不安と失敗に立ち向かう精神を養うことは不可欠なことではなくなっているようです。親自身も、子供が傷つくことを強く恐れ、また支払った授業料分の発言権を要求して憚りません。 日本でもここ十年で小学校の運動会から順位づけが姿を消してきたと聞いています。かけっこに1位も2位もない、みんな一等賞だ、という均一で安全な無菌社会を校内に築き上げることを誰もが求めているようです。それが子供たちの未来にどう作用するのでしょうか。 しかし一方で私は、フィッツに対して全面的に賛意を示すものでもありません。彼は教え子たちが勝ち取った準優勝カップを床に叩きつけて壊してしまいます。優勝できなかったたことに腹を立てる彼の姿勢を著者はむしろ肯定的に描いていますが、そこに大きな違和感を覚えずにはいられません。 本書を読む時に必要な心構えは、フィッツという特異な存在に対して、著者のように全面的に肩入れすることでもなく、また一方で今の保護者のように全否定することでもないはずです。 両者の間にバランス良く身を置きながら読むことが求められる書であると思います。
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