綿密な計算、ディテールへの拘り、その積み重ねの上に成立した精巧なパロディ映画。
一生懸命な姿は、一歩引いて見ると滑稽なものである。その紙一重の隙間で遊んだ作品と言えるだろう。
クストーの海底世界、川口浩探検隊、の過剰な演出にドキドキした頃もあった。
これほど美しく感動的な映画を見た記憶はほとんどないと思えるくらい、すばらしく思った。個人的にはウェス・アンダーソン監督はこの一作をもってもはや巨匠といって差し支えない位置に立ったというか、古今の名作のリストに一つ新たなタイトルを加えたとすら思えた。この映画自体が、作中映画のようなある意味胡散臭い映画なのだが、この映画におけるさまざまな“怪しい”意匠をウソと否定しまうと、観客はこの映画の冒頭の作中映画を批判した小賢しい観客と同じ位置に自分を落としてしまうことになる。主人公があえてネッドを信じたように観客は映画のできごとをまるごとそのまま信じることで、すばらしい世界に出合うことができる。撮影も音楽も何もかもが美しく、ワンカットごとに息を呑む思いがした。音楽がデヴィッド・ボウイなのだが、ボウイ独特の胡散臭くてあざといようでナイーブで美しい世界観がこれまたとても合っていた。劇場で見たかった……。
大笑いするのではなく、じわっとオフ・ビートな笑い。だから、ツボにはまるかはまらないかで大きく評価は変わると思います。 ズィスーたちが制作する海洋ドキュメンタリー同様、「ライフ・アクアティック」という、この映画そのものも、どこか胡散臭い。どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか分からない、そんなインチキっぽさがいい。でも、病的なまでにディテールにこだわるウェス・アンダーソン監督の世界が全開で、探査船の断面図を、まんま原寸大で再現しちゃった巨大セットとか、奇妙キテレツな空想上の海洋生物たちのディテールの懲り様!! ヴェルヌの「海底二万里」のような海洋冒険モノと、トリュフォーの「アメリカの夜」のような映画製作モノへのオマージュみたいだなと思ってたら、映像面においてもそのマンマ(パクリ?)というのも、逆に思わず笑ってしまった。危機、また危機!そして大殺戮!の激しい展開の中でも、父親であろう人の呼び方にこだわってみたり、リーダーには絶対服従なところを間違った感じで描いてみたり、寝た寝ないのどうでもいい痴話ゲンカが起ったりと、変なリーダーを中心に、ちょっとズレた家族愛、親子愛を描く。(笑) オーウェン・ウィルソンやアンジェリカ・ヒューストンらの常連、新顔のケイト・ブランシェットら、やたらと豪華なキャストの中でも、ウィレム・デフォーが良かったね。今までのデフォーからは想像できないほどチンケな役です。あまりにチンケで最後までデフォーと分からないかも。(←ウソです)デヴィッド・ボウイのポルトガル語カバー、ディーヴォのメンバーの作った電子音楽もいい味を醸し出しています。
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