『じゃじゃ馬馴らし』は問題作でもあり、手の付けられないじゃじゃ馬娘キャタリーナが、剛毅な男性ペトルーチオに力ずくで口説かれて結婚に追い込まれる。だが、二人は対立しているようで、実は最初から息が合っているのだ。第二幕第1場、初めて会った二人の、丁々発止の遣り取りを既訳と比べよう。キャタリーナの台詞、It is my fashion, when I see a crab.の、crabを、福田恒存は「蟹」、小田島雄志は「ゲジゲジ」、松岡和子はcrab appleの省略形と見て「ヒネた酸っぱいりんご」と訳す。(福田訳)「ペ:そんなしかめ面するものじゃない。/キャ:これがあたしの癖なの、蟹を見るとね。/ペ:何を言う、蟹なんかどこにもいない。さ、だから、そんな渋い面はかたづけて。/キャ:それがいるのだもの。/ペ:じゃ、見せてくれ。/キャ:鏡さえあればね。/ペ:じゃ、僕の顔がそうだと言いたいのだね?/キャ:よく分ったわね、若いのに感心。/ペ:そうれ、おっしゃる通り、この腕っぷしが若さの賜物。/キャ:いずれ、くたびれるでしょうよ。/ペ:天の恵み。/キャ:天の助け。」 (小田島訳) 「そんなしかめ面しないで。/これは私の癖なのよ。ゲジゲジを見たときの。/ゲジゲジなんかいないぜ、だからしかめ面はよせよ。/いるわよ、ゲジゲジが。/どこに?/鏡があれば見せてあげられるけど。/なんだ、俺がゲジゲジ面だと言いたいのか?/よく分ったわね、その若さで。/もちろん俺には若さと美貌があるさ。/皺もあるわ。/苦労したんでね。/ご苦労様。」 (松岡訳)「さあ、そんな渋い顔しないで。 /私、こういう顔になるの、ヒネた酸っぱいりんごを見ると。/酸っぱいりんごなんてここにはない、だから渋い顔するな。/あるわよ、そこに。/じゃ見せてごらん。/鏡があれば見せられるけど。/え、僕の顔?/よく当てたわね、その若さで。/確かに僕は君には若々しすぎる。/なのに皺だらけ。/苦労したからね。/ご苦労さま。」鏡に映るペトルーチオの顔に喩えているのだから、crabは、蟹やゲジゲジではなく、さえないリンゴだろう。
初期のハリウットスター夫婦、夢の共演作品として話題を呼びました、主演は女優メアリー ピックフォード(ポーリンの冒険)、俳優のダグラス フェアバンクス(最初のアクションスターで多くの主演作で正義のヒーローを演じました)、1960年代にあの類まれなる美貌の持ち主であった女優エリザベス テイラーと彼女の5番目の夫でもあった演技派俳優リチャード バートン夫婦が前作(ウァージニアウルフなんか怖くない)の大成功の後にこの作品をリメイクし、共演をし話題を呼びました、じゃじゃ馬とはこの場合、女性の事、富豪の娘ながら気性が荒く、貰い手のない彼女を持参金目当てに嫁にする男の物語り、痛快ギャグ要素満載の人間ドラマです、2人の息子(ダグラス フェアバンクス ジュニア)も父同様、アクション俳優でした、40歳で引退。
もともと映画音楽のファンではない。ただ映画は好きなので見に行ったり、DVDで見たら、いい音楽は心に残る。で、このCDを聞くと僕の心に残っている名曲はほとんど「このお方」の作品であることが判明。こうしてみるとすごいですね。
個人的には「太陽がいっぱい」が思い出とともにNO.1ですね。
村の酔っ払いを、領主がからかって領主のフリをさせるお話と そのお話の中で行われる劇中劇。 美しいがじゃじゃ馬のため、求婚者がいない姉と しとやかで求婚者が列をなす妹。 父親は姉が結婚するまでは妹も結婚させないといい、 お金があればだれでもいい、という紳士が姉との結婚に名乗り上げ 姉を従順な妻にしようとする、という喜劇。
入れ替わりにつぐ入れ替わり、 当意即妙のやりとりがシェイクスピアらしく、楽しい劇です。 現代の視点で見れば、姉を「じゃじゃ馬馴らし」するやり方は ひどいと思いますが 会話の軽妙さは見事なものです。
原本の解説が詳しいです。
もちろんファーストも素晴らしい!のだが、この二枚目も凄い。まずは一曲目の「Clouds」にやられる。雨の匂いがするようなグルーヴィーな楽曲としなやかなチャカのボーカル。時代的にDISCO色が強いが、まだ打ち込みが無い時代、エネルギッシュであり、また最後まで耳を離せない。まだデビュー前十代のホイットニー・ヒューストンと母、シシーがコーラスで参加した曲もあり、必聴!
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