90年前後、部活動における背番号「10」は、特別な存在でした。 ボールを味方に配給し、時には自ら得点も決めて、試合を形作る。チームの大黒柱だったのです。 ところがこの試合、バルサでパスを配給してチームの起点となっていたのは、最後尾にいるクーマンであり、ストイチコフの得点をアシストしたのも、ボランチのグアルディオラ。バルサの10番ビチュヘは、トップ下どころか、左サイドの選手でした。 トップ下が不用になり、試合の起点が中盤の低い位置になる。今にして思えば、「司令塔」という概念の転換点だったのかもしれません。 当時、私の中の10番の理想像だったライー。鮮やかにゴールを決め、MVPも獲得しました。その2年後。W杯でボランチのドゥンガがトロフィーを掲げ、セレソンの10番を着けたライーがベンチで決勝戦を見守ったのは、歴史の必然だったのでしょうか。
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