本書を読んで、一番感じたことは日本女性の美しさ。それも人の行動や言葉に一々感動し涙するほどの心をもったすばらしい美しさ。本書はその美しさと聡明さを兼ね備えた三代将軍家光の傍妾であった永光院の生涯を描いた小説です。本書を読みながら思ったことは、このような女性が何故日本からいなくなったのかということです。日本女性といえば「アメリカの会社で働き、イギリス風の家に住み、中国人のコックを雇い、日本人の女性を妻にする。」ことが一番贅沢とされるほど世界でもおしとやかで奥ゆかしいとされていたほどで、日本文化の誇りでもあったはずなのにと・・・。
本書の内容に関しては、慶光院からお万の方、永光院へと移りゆくひとりの女性の生き方とその時代時代での考え方の変化を上手く小説化しており、大変面白く読みすすめることが出来ました。ただし終止永光院お万の方を賛美しすぎているので、最後の方では若干少女漫画チックになってしまっていることが気になります。
美しい文体にモダンな雰囲気は流石です。 ロマンチックで堪りません。 細部までこだわっている緻密な構成で、気づいたら引き込まれてしまいました。 注釈もユーモアがあって面白く何より丁寧で、当時の時代背景について無知な私としては助かりました。 また読み返したくなる一冊です。
花物語の下巻は、後半の19編を収録します。花物語も後半に入ると、ストーリーも深化して時に少女小説の枠を越えたような作品が出てきます。形式も著者に宛てた投書の形(アカシヤ)、樋口一葉風に文体をまねたもの(日陰の花)といった工夫も見られます。特に「ヘリオトープ」は散文詩のような美文調でまとめた掌編です。末尾に大正12年10月14日と日付があります。大正12年9月1日の関東大震災から1ヶ月半後の作品で震災の影響が垣間見られます。 下巻のエピソードでは、さらに女同士の恋愛感情に踏み込んだ作品が出てきます。「アカシヤ」「日陰の花」「黄薔薇」「スイートピー」など。就中、「黄薔薇」は、古代ギリシアの女流詩人に言及して、まさにその世界を描いています。どのエピソードも悲しい結末に終わっており、やや苦い後味を残しますが、いずれも少女小説を超えてその先を行く力作です。
花物語をはじめ当時の少女雑誌というと、中原淳一の挿絵と決まっていました。あとがきによれば、河出文庫版の表紙絵は、中原淳一のイメージに囚われずに読んでほしいという意図からこのような表紙絵を採用したとのことです。これは良い試みと思いました。
この短編集は大正、昭和に活躍した作家の短編集であるにもかかわらず、全く色あせていないことに驚く。
この中でも、圧倒的だったのが、林芙美子の“骨”。当時でもエリートであった、主人公の道子が、戦争未亡人となった上に病人を抱えて娼婦業に身を置く事に余儀なくされる。二人の病人と子供を抱え、道子の体も弱いという、極端な困難と困窮の中を描写していてもなお、若くして亡くなった作家林芙美子の語り口はなおもって力強い。林は、人の心を描写するというよりも、登場人物がその目に入るものをどうみているかという事、また、周りにどんなものがあるかという事を淡々としかし絶妙に明確に描く事によって、彼らの心を浮き彫りにするので圧巻である。
戦争学徒労働によって病気になり死を迎えんとしている弟のわがままに対して、道子は思わず ”一体どうして私が皆を毎日食わしているから知っているの?.....私に食ってかかるより戦争を呪うがいいやっ。療養所でもどこでも行っておくれよ。”といってしまうと弟は、“俺、ここにいる。どうせ死ぬならここにいる。”消え入るような細い声で泣きながら...。” 戦争に勝つ事を無垢に信じて、ひたすら働いた少年の余りに早い死をまえに、その不合理を思っても誰もが全くの無力だ。
この短編で流れていくのは、可憐な悲しさでなく、現実的な事実としての不幸であり、その現実感は、時代を超えて飛んでくる。
不幸であれ、幸福であれ、どの時代であれ、苦しみ、ただ生きたというこの小説は、人生の真髄とは、ただひたすらに生きて、当然の用に死ぬのであるという中にある事を直球で伝えてくる。
吉屋信子の独特の美意識で綴られた名文にうっとりしながら、読みました。公家六条家の姫君―伊勢慶光院の尼君―将軍家の側室―大奥総取締役の大上臈と数奇な運命をたどった女性の凛とした信念みたいなものが漂っていました。 1967年にテレビ朝日系でドラマ化されましたね。お万の方(佐久間良子)・春日局(杉村春子)・徳川家光(江原真二郎)・藤尾(岩崎加根子)・お楽の方(宮園純子)・お夏の方(小川知子)・お玉の方(緑魔子)・鷹司孝子(稲野和子)などの配役でした。 同じころ舞台化もされました。こちらはお万の方(司葉子)・春日局(山田五十鈴)・徳川家光(市川染五郎・現松本幸四郎)・藤尾(乙羽信子)・お楽の方(星由里子)などでした。その後のテレビ・映画・舞台の大奥ブームのきっかけとなった作品でした。佐久間良子もその後同じ系列で「皇女和の宮」「お吟さま」と好演したのをよく覚えています。
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