自分の過去が思い出せない女と,新しいことが覚えられない男.
この対比がなかなか面白い.味付け次第でいろんな仕掛けが作れそうな設定である.
ストーリー自体は,記憶を取り戻そうとする女の悪戦苦闘が中核である.
記憶がないというのは,なるほどこういうことなのかな,と思わされる.
記憶障害の男の生活像や反応もリアルで,よく調べられているなと感心した.
トリックの本体は,他のレビューアの方も書かれている通り,叙述トリックである.
最小限の記述で読者をミスリードに誘導しているテクニックはなかなか巧みで
帯に「読み返したくなる」と書かれている通りである.
実際に読み返してみると,初読で不自然に感じた部分のほかにも,
ヒントとなるような記述が発見できて,1粒で2度おいしい作品である.
とはいえ,セックスや暴力に関する記述がやたら多いことと,
事件に背景に暴力団を持ってくるという安易さには少々興ざめした.
その点を星1つ減点.
愛川晶(あきら)のデビュー作である本書は、ミステリーの老舗出版社、東京創元社が主催する、本格ミステリーの泰斗の名を冠した「鮎川哲也賞」’94年、第5回の受賞作である。
1年前に、残った唯一の肉親である父親を交通事故で亡くした、天涯孤独の人見操。彼女は都内のアパートでひとり暮らしをする聖都大学文学部の1年生である。夏休みに入ったばかりの、サークルの合宿明けのある日、差出人不明の淡いピンク色の封書が届いていた。そこには、操の古い記憶を刺激する保育園と一枚の絵の写真が。それが彼女を襲う恐怖と驚愕の日々の始まりであった。彼女は親友の星野秋子の勧めで同じサークルの先輩・理学部の3年生、巨漢の坂崎英雄と共に調べてゆく。
次々に送られてくる謎の封書に、自らの出生の秘密を、同封の写真を手掛かりとして戸籍と記憶をたよりに調べてゆくと、驚くべき事実が明らかになってくる。しかしひとつの謎が判明すると、また新たな謎が矢継ぎ早に発生。全部で4章ある物語のその最後の章の途中までまったく真相に到達しない。
本書の読みどころは、「記憶」と「戸籍」にまつわるトリックと19年前くだんの保育園で発生した「密室状態での乳児誘拐事件」のトリックの落としどころと、“どんでん返し”ともいえる真犯人の企みである。とにかく、たたみかけるサスペンスの連続に、まだ19才といううら若い操の心は引き裂かれんばかりだ。
本書は、フィクションとはいえ、読者に、これほどのことが実際起こりそうだと真剣に思わせてしまう、臨場感に満ちたミステリーの力作である。
2007年に原書房から出た単行本の文庫化。 「神田紅梅亭」シリーズの第1弾。 「道具屋殺人事件」「らくだのサゲ」「勘定板の亀吉」の3本を収める短編集。 落語界を舞台としたミステリで、「黄金餅」、「らくだ」、「壺算」などの落語がテーマとなって謎が展開していく。トリックもよくできていて、しかもきちんと落語に結びついている。落語好きもミステリ好きも満足できる一冊だろう。 全体として、符丁や専門用語を使いすぎる傾向があり、読んでいてうるさい。
落語が好きなひとには、面白いのかもしれない。
私は「笑点」くらいしか見ないから、あんまり落語は得意じゃない。
でも、著者の作品は好きだから、手にとってみた。
ネットでの評判も、結構良いみたいだからね。
でも、これは私の琴線には触れなかった。
なんていうんだろうか、「日常の謎」系?
でも、同じ「日常の謎」だったら北村作品や倉知作品のほうが、相性が良い。
落語を扱った作品なら、大倉作品だって面白く読んだ。
何故か?
本作で提示されている謎が、私にはまったく解決したいという興味がわかないからだ。
おそらく著者には、落語を知らない、興味のない、という人にも面白い、分かる作品にしようという意図は十分にあったと思う。
それは、よく分かる。
しかし、その謎が、とにかく強烈に引きつけられるものではない、というのが正直なところであり、それは落語を知っているかいないかには関係ないものである。
これは単に、個人的な好き嫌いの問題である。
だから、本作を絶賛する人がいるのもまた事実だし、ミステリとしての出来はけっして悪いものではない。
でも、ミステリは謎に惹かれる、引きつけられるというのが魅力なのだから、私には本作は今ひとつだった。
著者の他の作品は「化身」から根津愛ものまで楽しく読んではいるのだが・・・
ただし、本シリーズは最初の「道具屋〜」から読んでいるわけではない。
本書が最初というのが、今回の読後感になっている原因かもしれない。
機会があったら、本シリーズの他の作品も読んでみよう。
なんといっても、嫌いな作家ではないんだから。
ミステリには、他ジャンルの蘊蓄を絡める作品が多く、そういう作品は倍楽しめる気がします。
日本では泡坂妻夫さんの奇術を扱ったいくつものシリーズ、戸板康二さんの歌舞伎ものの中村雅楽シリーズなどが私は大好きです。
落語を扱った作家は他にもあり、一応目を通していますが、この著者の落語愛と噺への洞察、目配りは半端ではありません。『道具屋殺人事件』につぐ第二作です。
タイトルの『芝浜』は、運良く財布を拾った男が、女房の機転でそれを夢だと思い込まされ、心を入れ替えて商売に励むという噺ですが、財布の拾いかたについて流派によっての食い違いとか、女房の言葉をすぐ信じ込む理由の説得性とか、いわば落語の中の「物語」自体への鋭い分析、編集が、メインテーマとも言えるミステリです。
落語の演じ方という謎を核にし、それと連動するように、日常のこまごまとした事件を、ヒロインとその夫の噺家、さらに安楽椅子探偵ともいえる、脳血栓の後遺症が残るものの、名人の師匠が、席亭や落語会を舞台に解いていきます。
今回、人死にはありません(笑)。
登場人物達のかなでる物語と、その中でかなでられる噺、という入れ子構造で、ずっしりした読後感があります。
落語の描く人間のドラマ、そしてそれを演じる落語家たちのドラマです。
そして、この道に賭けた名人たちの心意気とその高座ぶりがかっこいい。
安手の感傷はありませんが、今回は愛弟子のために、不自由な身を押して高座にのぼる師匠が、はたしていかなる口演をするのか。感動のクライマックスです。
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