初読時、中国のカニバリズムの話は、確かに軽い衝撃を受けたが、本書から、この話を除いたら、何が残るだろうか。
開高がネタ本に使った、桑原隲蔵の論文は、現在、平凡社の東洋文庫で簡単に手に入る。宮崎市定の解説を読めば分かるが、開高が騒ぐほどの大論文というわけでもない、当時も今もそれなりの批判のある一論文に過ぎない。桑原は、日本には朝鮮や中国と違って、古来よりカニバリズムなど存在しないと、固く信じていたと思われるとも宮崎は記しているが、こっちの方が、桑原の論文よりもよほど驚きだ。私は読んで、軽い脱力感を覚えたものである。
カニバリズムを得意気に語るのは、単なる関西人たる開高のおなじみの露悪趣味に過ぎないし、他の内容も、日本人の食生活の質と知識の向上の前に、古臭くなってしまったという気がする。数十年前は、すごく豪華に思えた、開高が食べてる料理のメニューにも、たいして食指が動かない。
普通ですね。3点。
日本という国の息苦しさ、生きにくさを、日本を捨てた男たちを題材に浮かび上がらせたかったのなら、もう少し違った事例を選ぶ必要があっただろう。ここに書かれた人たちは、どう見ても日本に捨てられてしまった人たちで、しかも彼らを見る限り、非は彼らを捨てた日本にあるのではなく、彼ら自身にあるとしか思えない。彼らは日本以外のどんな社会でもまともにやっていくことはできないだろう。つまり自業自得。だから、これらの事例から著者の最初のもくろみのように、日本の生きにくさは浮かび上がらないが、それだからと言って取材によって得た内容を曲げたりしなかった所に著者の誠実さを感じるし、事実をもくろみにあわせるヤラセではないと信用できる。
フィリピンはインドネシアと並ぶ労働力輸出国である。そのほとんどが、介護を含む家事労働に従事する女性で、その待遇は現代の奴隷と比喩されるくらい過酷なものである。彼らはその過酷な労働で得た賃金で本国の家族を養っている。稼げるものが稼ぎ、稼げないものは稼げるものにぶら下がっていいという社会常識のもとで、どんなに苦労して稼いでも、稼いだ人がその稼ぎを自分のために使うことはできないし、自分の思い通りに人生を生きることも許されない。それがフィリピンにあって日本からは消えてしまったすばらしい家族の絆の別の側面ではないのか。
社会に縛られているからこそ、社会に保護されることを期待できるわけだが、登場人物たちは外国人ということで縛られることなく、保護だけを受けている。これは他のレビュアーも指摘しているようにいいとこ取りの特殊な状況で、彼らがいいとこ取りできる理由に、日本人ということも多分に関係しているように見えた。日本人でよかったねと言いたい。
というわけで、著者に聞きたい。日本はフィリピンに比べてそんなに生きにくいですか?
私は釣りをしないし、あまり好きでもないが、楽しく読めた。
釣りを愛好している人なら、なおのこと楽しめるのではないか?と思う。
本書最後の蛇足の章で、アマゾンの自然が徐々に破壊され、生き物が減少していることを危惧する記述がある。
1978年7月末日と結ばれているが、34年後の今はどれほど自然が失われているのだろうか?
想像することしか出来ないが、相当な破壊が進んでいるだろう。
このことを想像すると、読後なんとも言えない複雑な気分になった。
言わずと知れた開高健の代表作だが、全体からベトナム熱帯雨林の湿気が漂ってくるかと 思うほど、力強くて濃い文章。比喩や言い回しは開高健独特のものだが、それが恐ろしく 的確に現実を表現しているところが凄い。 ベトナム戦争を通じて、戦争の良し悪しといったことではなく、ずばり素っ裸の人間その ものを描き出す。 ラストシーンではもはや主人公は人間ではなく、ほとんど本能のままに動く獣と化してし まうが、戦争の極限状態をここまで見事に描き出している文章はなかなか他に見当たらな い。凄惨を超えて滑稽な域に達している点が、これまたリアルなのである。 実にこってりとしていて、読み応えは十分。薄っぺらな小説に飽きた人にも、濃い目の小 説が好きな人にもお勧めできる名作。
最近万年筆(#149)を手に入れたので、自分の持つ万年筆の事を知りたく本屋で立ち読み後、じっくり読んでみたく購入しました。万年筆初心者の自分にも読みやすかったです。色々な人が使う様々な文房具に興味がわいてしまい、色々な万年筆、文房具を使ってみたくなってしまいました。この値段でこのボリュームは素晴らしいの一言です。買って正解でした。
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