女優のレベルが高いです。RQ姿でイきまくる女優陣と隙がありません。
巨乳アリ、パンストあり、アナル、レ○プとシチュエーションも豊富。
ツボを抑えた造りかと思います。
この作品は、初版が確か、1966年頃ですので、知らない人も多いかと 思います。でも、天才詩人、三好達治をとても上手く描写した、名作なので、私は葉子さんのもうひとつの代表作、”父、萩原朔太郎”よりも、こちらの方が、好きです。朔太郎の妹に、妻子を捨てるまで、のめりこむ三好達治と、美しいが、わがままで、詩人に理解のない妹との、心の通わない冷たい結婚生活や、涙もろくて、情熱的で、生涯孤独だった三好達治の知られざる素顔をすばらしい文章力で表現しています。 萩原葉子さん、先日亡くなられましたね。ご冥福をお祈りします。
詩人・萩原朔太郎を父に持つ作者。読む前の情報として知っていた「親類縁者の虐待」。
それでも「そんなに激しい虐待のはずがない」「“自伝的”小説といっても、脚色も多いんだろう」そんなことを思っていた。
ところが、読んでみて驚いた。
今の世で考えたら、こんな“おばあちゃん”が想像できないから。
いかに“家”っていう閉じられた社会の制度が恐ろしいかを感じる(決して核家族を奨励してるわけではないのだが)。
家柄を守りたい思いと、家長の力がいかに強かったか。
少女時代を過ぎても悲劇はこれでもかと続く。
素性のよくわからない男にだまされてしまい、そして父は…。
読み始めたらあっという間に読み終えてしまった。そして続編も。
現代の、当たり前のように家族の愛を受けて育った人には衝撃的な一冊。
「父・萩原朔太郎」を読んで、「蕁麻の家」を読みましたが、あくまでも興味は<朔太郎>にあったのです。朔太郎の家庭・家族がどのようなものであったのか、あれらの詩がどのようにして生まれたのかが知りたかったのです。「父・萩原朔太郎」は表題の通り朔太郎の思い出が中心で、実生活者としては実に頼りにならない父親像が描かれていて興味深かったのですが、この「蕁麻の家」は、浮気をして夫と子どもを捨てて出て行った妻の残していった長女(作者)と、高熱を出して寝込んでいたのに放っておかれたために脳に障害が残ってしまった次女とが、一家を支配する祖母からいかに迫害されて育ったかということを綴った「第一部 蕁麻の家」、戦時下に職場の同僚とお茶だけの結婚式を挙げ、新しい家庭を持ったものの味気なく貧しい生活を続け、戦後に子どもが出来たのについに夫を追い出す形で離婚してしまう「第二部 閉ざされた庭」、離婚後朔太郎の思い出を書くように勧められて書き始めた文章が認められて作家として生活するようになり、自分を捨てた母親を引き取り、障害を持つ妹とも一緒に暮らしながら、ダンスを生きがいとして生きてゆくようになった「第三部 輪廻の暦」という三部から構成されています。この三部が書かれるのに二十余年という時間が流れています。
作中、主人公は取材に答えて、「これだけは書かなくては死ねないという強い思いがあったので、遺言のつもりで書きました」と言っています。この物語を読む人は多分実話的な興味から読む人が多いと思うのですが、問題はどこまでが事実で、どこが虚構なのかということです。巻末の作者の年譜を読むと、物語の中の出来事に対応した形で作者の生活史的な内容が書かれているので、うっかりすると書物の内容が事実そのままの出来事だとも思ってしまうのですが、あくまでもこれは作者の目から見た真実ということなのだと思います。作者自身、書いたものを批判された時に、フィクションというものが分からない人だと反論しています。
第三部を書いた後に「歳月―父・朔太郎への手紙」を書き、その中で「悲劇の根元は、お父さまのふし穴の眼の故(せい)でした」と朔太郎を糾弾する作者ですが、朔太郎の娘として生まれた悲劇の生涯を書き抜いた、稀有の一冊といえるでしょう。読み始めると最後まで一気に読んで飽きさせない筆力があり、作家としての技量を証明する一冊ともなっています。
彼女の私小説の完結編。 小生、履歴たる三部作もよまずにいきなり 本書から読んだ。萩原朔太郎の長女だったがために、薦められて 文筆業に入ったという著者。それまでは洋裁で生計を立てていた という。こわいほどキリッとした顔立ちだった。顔は女の履歴でもある。 多摩美術大学の萩原朔美教授の母上である著者。その父、 萩原朔太郎が医家の長男として生まれついたことを本書で知った。 かかずにいたら発狂しかねない、そんな爆弾を抱えていないで 書けたのも彼女が朔太郎の娘だったからだ。 人生後半は幸せだったんではなかろうか。
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