モーリス・ルブランの「ドロテ」が、何と日本人作家の手により三部作として復活!あの「ドロテ」の前日譚。ドロテの育ての親で矢張りドロテと云う女性が登場。ドロテ本編に登場していた四人の孤児のうち三人までは登場しているが、一番幼かったモンフォーコン隊長はおらず、代わって同じ名前の大人の男性が居る。おそらく、この男性が死ぬか何かして、後にドロテが拾った子供に、この名を付ける事になるのだろう。 本書はルパン外伝にもなっていて、ルブランの書いた本が、どこまで本当の事が書かれているのか判らない・・・と云う事になっている。そして本書は正に「虎の牙」事件が起きている真っ最中の話でもある。 イギリスから犯罪の専門家として招聘されたのが探偵のホームズではなく作家のG・K・チェスタトン(!)。亡くなる3年前の事か・・・チェスタトンと一緒に居るのはルパンシリーズでお馴染みのデマリオン警視総監。 ドロテの相手役の少年が連れている犬の名前がシャーロックなのがおかしい。 ルパンの娘である事を匂わされるドロテは本当は誰の娘なのか、そしてルパンの実像はどのようなものなのか、先が気に成る。
地元の図書館で借りてきました。 筒井康隆氏も書かれていると思ったら書かれてなくて新井素子女史が執筆されております。彼女以外の執筆者を忘れてしまいました。
……のっけから本編・本小説とまったく関係ないところからの引用ですみません。
つまりこの小説は、自分の机からドラえもんが出現することはないと、頭だけではなく身に染みて知った後の、
おとな世代にもプレゼントされているのではないかと。
もちろんジュブナイル向けでもありますし、本小説版の面白さは既に他のレビュアーさんが語っておられるとおりです。
私は以下、感傷的なレビューに終始します。すみません。
本小説中で留意された「子どもたちが鏡面世界で冒険している間の、おとなたちの時間感覚」が、
現実世界の時間感覚、つまり「ドラえもん」の世界とは別に歳をとってしまった私自身のものにダブって感じられました。
また彼らの家族や先生の描写は、他の大長編ドラえもん「パラレル西遊記」の、あの感動的な幾つかの静画を彷彿とさせました。
元祖ドラえもんで育った世代は、まさしく今ママやパパ、そして先生なんかをやってる最中です。
そして、彼らの冒険譚とおとなたちをつなぐようなポジションに、他の藤子作品からのゲストキャラである
あのひとがいるのではないかと。(そもそも現代っ子の大半は元ネタわかんないでしょう・笑)
本当にちょっとしたところですが、彼女が携帯電話を使うシーンは象徴的でした。
この小説は舞台を21世紀東京に据え直しているにも関わらず、ドラえもんやのび太たちは
作中どんなシーンにおいても「携帯用の小型通信機で連絡を取り合う」という行動を取りません。
もちろん原作に携帯電話なんて登場せず、それやっちゃったら台なしだよねとは思うんですが、
友達の姿が見えない・聞こえないからこそ一生懸命に想像して行動する彼らは、とても眩しいです。
(ところでドラえもんに限らず、あの時代のどのSFも、現代ほどの携帯電話の普及を予測し得なかったそうですね。)
一方、既におとなになってしまったゲストキャラの彼女、のび太らのママ、パパ、先生は、子どもらを許し涵養するように、そこにいる。
これも本当にちょっとしたところですが、物語の最後、のび太のパパがドラえもんにかけた一言には心底救われました。
私がリアルタイムで元祖ドラえもんを見ていた頃、その感動は私ときょうだい、いとこや近所の友だちだけとの間で共有されていました。
この小説を読んだ後、その感動は、全国の沢山の人々と共有できるものなんだと感じられました。
また今なら、アニメ制作班の方々が、声優陣の一新を経てまで、この作品を続けようと努力されたことに思いを馳せられます。
のび太たちがザンダクロスによって図らずも手にした暴力性は、小説中なんとツインタワー崩落になぞらえて語られます。
鉄人兵団との死闘や都市の破壊は、文字のみで読むからこそ不気味でリアルでした。
この小説が出版され、新映画版が公開された直後に、東日本大震災発災。
ドラえもんて小型の原子炉で動いてるのよね、なんて世間様に揶揄されもした。
それでも私たちはまだ、ドラえもんたちにいてほしい。
ある世代が独占するノスタルジアではなく、語られ続ける少年少女の活劇として。
食事の量(=摂取カロリー)を極端に減らしても、タンパク質やビタミンなど最低限の栄養素があれば、人間は健康に生きられる、という説があって、そのメカニズムの核心に位置するのがミトコンドリアであるという。で、ミトコンドリアについて知りたくて本書を手に取った。結果は「当たり」である。
本書は、ミトコンドリアの機能や働きのメカニズムを分子レベルまで砕いて解説する。それだけではなく、ミトコンドリア研究の歴史も詳細に紐といていて、研究者たちがどのようにしてミトコンドリアの謎を解明していったのか、時代時代の背景もあわせて非常に興味深く読んだ。一般向けの科学読み物ではあるが、分子レベルの解説は適当にはしょったりしておらず、相当歯ごたえはある。一読して理解できるようなヤワなシロモノではないが、ともあれミトコンドリアについて知りたいことはこの本にほぼ全部書かれているだろうことはわかった。さて、これからが勉強だ。
収録作は順に「魔法」「静かな恋の物語」「ロボ」「For a breath I tarry」「鶫とひばり(ひばりは旧字体漢字)」「光の栞」「希望」。
冒頭二篇「魔法」「静かな恋の物語」と読んでみた時点で「これは凄い」と思わされた。 そして「この人って、こんなに優れた(短編)SF作家だったっけ……?」と驚かされてしまった。 過去の幾つかの瀬名秀明の長編作品(デビュー作『パラサイト・イヴ』については後述するとして)例えば『BRAIN VALLEY』『八月の博物館』『デカルトの密室』等については科学とロマンチズム・叙情とエンターテイメントとしての配慮(?)が何やら混線して、特に後半「これは酷い」と思えもしていた。 しかし、かつての瀬名作品に対して僕の中に根強く合ったそうした反発なり残念は「魔法」「静かな恋の物語」の中にはまるで見出せなかった。
いや。確かに初出で読んでいた収録短篇「ロボ」「For a breath I tarry」「鶫とひばり」、そして何より表題作にもなった「希望」は大傑作だった。 ならば、僕の驚きは着実にその歩みを追って来た瀬名ファンからすれば「なにを今更」というものだったのだと思う。 この場を借りて、一読者として瀬名秀明さんとそのファンに失礼をお詫びしたい。
その上で以下、各小説についての感想。
「魔法」は充実した科学知識の積み上げと、時に批判もされてきた著者の色濃いロマンチズムが美しく結びついた傑作。 また、恋人たちが交わすあるカードを示す符号から「これがジャンルとして本○○○○○作品でもある」こともさりげなく示され、その面からみても素晴らしい短篇。
「静かな恋の物語」も同じく「科学+ロマンチズム」という一篇。 「魔法」があるジャンルにも属する作品だったのに対して、こちらは「○史○○○Fでもあること」に仕掛けと妙味があると思う。 この作品が「For a breath I taryy」と同じ本に収録されていることも、興味深くも美しいことと思える。
「ロボ」。この一篇への感想は複雑だ。 巻末の風野春樹さんの解説にもある「瀬名秀明とSFの間には、ちょっとした因縁がある」という話、特に『パラサイト・イヴ』に対する自分の反応を振り返らざるをえないから。
「「アーネスト・シートンも、一時期は擬人化が過ぎていると学者たちから厳しい批判を浴びたのでしたね」 彼は無言だった。言葉をつないだ。 「学者だけじゃない、狩猟仲間だった当時の大統領からも手厳しい批判を受けて、シートンは社会的な名声を、自然史家としての信用を急速に失い、ほとんど作家生命を絶たれたと評伝で読んだことがあります。彼は社会から離れてこつこつと地味な博物誌を書き続け、後年になってようやくその仕事は評価されたそうです」」(p131-132)
このくだりからは『パラサイト・イヴ』への負の反響が連想されてしまってならない。 『パラサイト・イヴ』を読んだ当時僕は「一人だけで本を読み、特にSFと意識せずSF小説も時折手にする読者」であったのだけれど。 あの「擬人化」と、当時あの本が「ちゃんとした研究者がちゃんとした学問成果を踏まえて書いた小説」という売り出し方が相まって「ただでさえ竹内久美子みたいなクソがのし歩いている中に……」と非常に強く反発し、その後数年に渡り「瀬名秀明」という作家の活動に関心を向けようとしなかった。今になって振り返れば、諸々考えさせられてしまうところはある。 とりわけ「ロボ」のその後の展開。とりわけ締め括りの「自然史家」の叫びと「ぼくたち」の疾駆を目にするとき。 稚く狭量な決め付けと自分の世界からの排除とを、恥らいと反省を以て振り返らずにはいられないと思いもする。
「鶫とひばり」については巻末解説が素晴らしい。付け加えられることなどなさそうだ。 ただ「(初出の)『サイエンス・イマジネーション』は一冊の本として大変に野心的かつ素晴らしい構成を持ち、優れた考察と小説が集まった良著だ」という推薦(「僕ごときが何を」とは思いつつ)はしておきたい。
「光の栞」と「希望」については、あまりにも美しく肯定的な「光の栞」がそこまでの流れを受け、いわば総決算のように現れた上で。 その直後かつ巻末という場において、大傑作にして解説においても「現時点での代表作」と評される「希望」の懐疑と強烈な批判が示される構成が凄まじい。 二作合わせて、短篇集『希望』におけるハイライトであると思う。 なお、「希望」については初出の『NOVA3』(2010/12)の時点で直ちに界隈で話題になっていた(と思う)作品でもあり、この一冊で気になった人は『NOVA3』の感想や評を探して読んでいくのも興味深いことだろうと思う。
僕の中で書評家、本の紹介者としての瀬名秀明の評価は以前からとても高く持っていたけれども。 この『希望』を読んでしまった以上、今後は小説家・瀬名秀明についても高い注目と期待を以て見ていかざるを得ないと思えた。
連作短編集『ハル』『第九の日』の存在がありながらも、「作者本人も本書を第一短篇集としたい意向」(巻末解説より)のだという。 新たに優れたSF短編作家としての顔を見せた瀬名秀明の第一歩として、実に力に満ちた一冊であると思う。
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