反戦、人種問題、ヒッピー、麻薬、性の開放など、60年代とは大きなターニングポイントの時代でした。そして、多くの人々の中に、得体の知れないエネルギーが充満している時代でもありました。日本でも、フォークシンガーは、長髪、反戦、アコースティックギターといったイメージがあり、エレキギターを用いると、商業主義になったといって非難されていました。そのころのマスコミや世間は、レッテルを貼ることが好きでした。そうしないと、安心できない保守的な人々がいたのです。その中で、ボブ・ディランがどのように生きたか、彼の価値観はどうであったかが良くわかります。彼は、何事にも捕らわれず、身近にあった音楽に没頭し、エネルギーを爆発させた自由人であったと思います。地方出身者の彼には、最初はフォークシンガーになるしか、エネルギーを発散させる方法がなかったと思います。ニューヨークに出てきて、自然にロックにも価値観を見いだしていったと思います。「Like a rolling stone」のように、自然に任せて生きたからこそ、彼の音楽は数十年経っても人々の心を打つのでしょう。
ウッディ・ガスリーはすで著作権のなくなった歴史的音源、 同様のコンピレーションはこれから世界各国で毎月のように発売されるだろうが本作は代表曲網羅で収録曲多くかつ廉価でなかなか良い、 以下「わが祖国」が実はアメリカ合衆国を歌った歌ではないことを記す、 全詩をのせて逐語訳しようかと思ったがとても長い歌なので特徴をあぶりだすために同曲をカバーしているブルース・スプリングスティーンが省略している部分を取り上げてみます、 以下は英詩と直訳
"This Land Is Your Land"
As I was walkin' 俺が歩いていると I saw a sign there そこに看板が見えた And that sign said no trespassin" 看板には進入禁止と書かれていた But on the otherside でもその裏側には It didn't say nothing! 何もなかったんだぜ! Now that side was made for you and me いまじゃそこ(看板の裏側を指す)は俺とお前のために作ったってでてるのさ
ブルース・スプリングスティーンはこの段落を省略して歌っている、 なぜ省略したのだろう?
曲名にあるlandは祖国・国と訳されている、はたして本当にそうなのか? ここで私達はなぜ進入禁止かを考える必要があるのだ、 説明するまでも無いがそれは私有地だからである、アメリカでは進入禁止の看板や表示は良く見かけるものの一つ、 だからno trespassingと同時にprivate property私有地と表示されることも多いのである、
ここまで書けばブルースがなぜ省略したかは説明無用のレベルだろう、 この段落を歌ってしまったらブルース・スプリングスティーンは個人の土地所有を否定する共産主義者だとアメリカで判断されてしまうからである、 この歌で歌われるLandとは国を指すのではなく具体的な土地・土壌を意味するのである、 すると曲名も自分の祖国アメリカを歌ったものではなく「この土地はお前の物」が正しい直訳となる、 それぞれの土地私有者の先祖が移民し開拓と数々の戦いの末に獲得した個人の土地そのものを指しているわけだ、 ウッディ・ガスリーはそんなアメリカの歴史を否定しカリフォルニアからニューヨークまでアメリカ合衆国のすべての土地は俺のものだしお前のものだとまるで原始共産制のような状態を賛美していることになる、
「わが祖国」が神に祝福された国であるアメリカ讃歌「ゴッド・ブレス・アメリカ」を嫌ったウッディが作ったことは有名な話、 つまり当時のアメリカという国を呪う歌と解釈すべきなのである、
ブルースは通常、ウッディ版ならタイトルのリフレインから歌いだすのも省略してこの歌を心に沁みるアメリカ讃歌に変えてしまった(grumblingをhungryとも言い換えてより詩的な叙景にしている)、 ブルースは上記段落を省略して歌うことで自分達の祖国アメリカを愛し慈しみ、国としてのアメリカとそこに暮らす市民達を讃えているわけである、 ブルースが歌う時 ”ランド”という単語には土地と国の両者が混在したまさに「わが祖国」という歌になっている、 だからこそブルース・スプリングスティーンはMr.アメリカとして尊敬されているのだ、
(ちなみにブルースの有名な3枚組ライブ盤(デイスク2トラック9)では「ゴッド・ブレス・アメリカ」のアンサー・ソングでありアメリカの最もビューティフルな歌だとブルース自身が語ってから歌い始まる、 続いてネブラスカ・ジョニー99・リーズントゥビリーブ・ボーンインザU.S.A.と歌われるのが長いアルバムのハイライトだと思う)
米国映画には二つの相反する文化が同居している。一つはスーパーヒーローがゴリラ人間のごとく活躍する系譜、もう一つの系譜は「悩めるアメリカ」でもがく普通の人間を描くものだ。ジョン・フォードの「怒りの葡萄」などから連なる、後者の系譜中、最も輝きを放つ傑作の一本が本作である。フォークの父と呼ばれるウディ・ガスリーは、今や偉大な人物=ヒーローに違いないが、飲んだくれるし、適当に浮気もする、普通のおっさんだ。だが、心の芯はいつも熱い思いに溢れた人だった。彼をここまで突き動かしたのはやはり「義憤」。最初はただの失業者、そしてしがない看板絵描きから、ギター一本片手に、移動労働者として全米を渡り歩いた。大不況期の1920〜30年代に、労働組合のオルグとしても活躍し、常に貧しい労働者側からの歌を歌い続けた。米国の激動期を背景に、図らずも時代のヒーローとなった人物の一代記を描く、ニューシネマ監督ハル・アシュビーのタッチはあくまでも優しく、名手ハスケル・ウェクスラーによるの撮影は今や、この映画の一場面一場面を「古典」の領域に高めている。何回でも見て、何回も反芻したくなるような、心に滲みる映画。見るたびに、「本当にいい映画を見た」と素直に感じられる、希有な傑作である。
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