2日前の夜、観ました。まだ、ラフマニノフが、聞こえています。ようやく、いつでも、観ることができる様になりました。ハリウッド映画中毒の方達には、どう説明しても、理解できないでしょう。
何気なく見た日テレの番組の主題歌が耳に残り
洋楽と無縁でしたが、オルネラ・ヴァノーニのアルバムを
オークションで購入したのですが、アレンジが異なりがっかりしました。
そんな折、皆さんのレビューは、大変参考になりました。
歌詞は、村の風景とはミスマッチでしたが、
春がきて 新緑のなオルネラの歌声を聞くことを楽しみにしています。
「逢びき」とはまた古い言葉だ。もう死語だろ。デビッド・リーンは「アラビアのロレンス「ドクトル・ジバゴ」などの超大作で私ら映画少年を魅了したが最初はこの映画のような「不倫」映画から出発したようだ。製作は1945年で終戦の年だが戦争の傷跡はあまり感じられない。普通は戦争物を撮るように考えるがもううんざりしたんだろ。「不倫」の経験はない。人の奥さんは興味がない。友達の奥さんには愛想がよい人がいるがうっかり手を出したら危険だ。パンツが見えたくらいで誘惑されたこともない。漱石は親友の奥さんに「懸想」したが同性愛の代償行為だという。小生はしなくて***でない証拠だ。人の奥さんも恋人も興味がない。「不倫」は結局「遊び」だろ。「遊び」などつまらない。「恋愛」は死ぬか生きるかのガチンコ勝負だからいいんだよね。でも小生は早稲田屈指の美人たちの「おもちゃ」だったのかも。「おもちゃ」と「用心棒」か。別にそれでもいいです。美人に「いじられる」のは快楽だぜ。ブスなら死んだほうがまし。
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