時々、無性にスウィーツが食べたくなる時があるように、無性に甘い恋愛小説が読みたくなる時があります。
あまり重くなく、ちょっと心が痺れるぐらいのものを求めて、本書を読みました。
若い時の最初の恋が共通のテーマです。
女の子が初めての恋で変わる瞬間。
自分の中から別の自分が出て来て、新しい世界が見えて来る瞬間。
女の子の恋によって歴史や世界が変わることはないかもしれませんが、
その子にとっての世界は間違いなく変わることが、それぞれのストーリーに描かれています。
ほろ苦い恋や微笑ましい恋。
自分の10代のことも思い出しながら、読みました。
こんなに痛い恋愛小説を読んだのは、はじめてかもしれない。読みながら何度も涙がこぼれた。それは自分が主人公と同じように恋愛でキズを負っているからかもしれない。 暴力をふるわれても、そこはわたしのいる場所で、そこにしか自分の居場所がないと、そこで愛されていると思い込む。しかし暴力をふるわれているうちに、自分というものが希薄になってしまう。暴力で愛を測るというシーソーゲームを放棄してしまった時、敗北感という無情な虚無感を味わうのだと、飛び降りた勢いで、こころもからだも投げ出されてキズを負うのだと思う。 キズを舐めながら、それでも愛することをあきらめない主人公に救われる。そして、蛍のような人に愛される幸せをわかっていることに、今、そしてこれからの希望を感じる。 同じ恋愛なんてそして傷つかない恋愛なんてひとつもないということを、肌で感じさせてくれるくれる物語だ。
名前からみて、著者はもっと若い人かと思ってましたが、意外にキャリアのある人だったのが意外でした。
作風も、作品も知りませんでしたが、日経新聞に2011年春頃、コラムの連載があり、面白かったので、関心をもち、この本を読んでみました。
不思議な小説でした。
恋愛小説とも言い切れない、初めての感触の本でした。
小学校〜中学卒業までの同級生のそれぞれの日常・交流・事件があり、そして、19年後のそれらの人々のその後を描きます。
山田詠美の「学問」も、こんな感じで、当時とその後の状況がわかるようになっていました。
そして、最後のクライマックスとして再会があります。
同級生が一群として登場するので、最初は、視点が定まらず、話の展開が分かりませんが、徐々に視点が定まり、一気に物語・事件が進行します。
話の流れへの戸惑い、男性と女性の恋愛感の違い、そして全体の印象は、私にとって、島本理生の「ナラタージュ」と同じように感じました。
「ナラタージュ」より、リアルで、直接的です。
ただ、物語の展開で、クライマックスの再会は、必要だったのかどうか、不思議に思います。
この再会がないと、救いのない物語になってしまったかもしれないとは思いますが・・・。
それと、小山内先生の粘着質の加虐性、準子が先生の皮膚に穴を開ける話は、何か意味があったのでしょうか。
「桃−もうひつちのツ、イ、ラ、ク」という続編を読んでみようと思います。
「ツ、イ、ラ、ク」は、別の視点から見ると、複雑な様相を見せるように作られている小説だと思うので。
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前評判から、なんかすごい恋愛小説かと思ったら、おきる事件はわりと類型的だった。 どこが魅力的かわからないがやたらもてる主人公。 優しくて冷静な同級生の彼氏がDVぎみになっていく姿。いじめにあっていた時に助けてくれた先生に恋をする女子高生。卒業して先生と生徒という関係が終わっても、なんか最初の立ち位置から逃れられない。 しかし、結末が知りたくて知りたくてどっぷり島本さんの世界につかってしまった。 次の日もう一度読み返してみたくなった。これっておもしろい本てことですよね。
文庫判の月刊の文芸誌。今回は特別編集板ということで、いつもと変わって、「STORY BOX JAPAN 青森へ」というタイトルで、青森をテーマにして、いろいろな作家が競作している。ちょうど新青森まで東北新幹線が延びるからなんだろうけど。
その作家群は、井上荒野、島本理生、西加奈子、嶽本野ばら、森見登美彦、相場英雄、西村京太郎といったところ。
なんと、この特集のために、各作家は青森取材を行い、全作品を書き下ろしたとのこと。力が入ってるなぁ。
実は、この文芸誌は毎月の連載をものすごく楽しみにしているので、どうして今月は、こんな特集組むんだろうってちょっと不満だったけど、読んでみるとなかなかの力作ぞろいで、とても良い試みだった。
自分も好きな森見登美彦氏の「夜会」は、連載されていた「夜行」同様、結構怖い話に仕上がってるし、嶽本野ばら氏の「死霊婚」も味のある怖い話だった。 また、初めて読んだ夏川草介氏の「寄り道」も太宰治や柳田国男なんかをうまく題材にして読ませる話だった。
でも、どうして「青森」を題材にすると、恐山とイタコとか太宰とかになるんだろうね。
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