内容は面白いです。 特に小林秀雄や岡本太郎は良いです。 小林秀雄や岡本太郎の作品で掴みどころがなく困っている方はこの本を読むと少しすっきりします。 日本人は何もかも神聖化する癖があるのでこれで余分な権威を振り払ういい機会です。 偉そうに納得しないことが大事なことだと実感しました。
まず、星の数については個人的な考えから1と2はつけないことにしているので、3つである。だから、3にも色々あるので、実際の星の数は、レビューの中身から判断してもらいたい。
さて、内容については、ほかの方も触れられているように、1950年代半ばの東京の一部の若者の風俗が描かれている。おそらく、発表された当時は、“衝撃的”だったのだろう。それもあって、芥川賞を受賞しているが、芥川賞の受賞作品及び受賞作家を見てみるとわかるが、この賞がいかにあてにならないか分かるだろう。私個人は好きではないが、太宰治氏、三島由紀夫氏、村上春樹氏は受賞していないし、受賞後活躍した作家でさえ、その受賞作の多くが忘れ去られている(作家は処女作に向かって成熟するという言葉を思い出してほしい)。本作も、著者が存命でなおかつ政治家として表舞台にいるから、ドラマ化されたり話題になるのだろう。
今の時代に、冷静になって読むと、それほど“衝撃的”ではない。さらに、ここで描かれたようなタイプの反抗的な若者たちは、実際に社会に出ると、意外と優秀な企業戦士になって、非常に保守的な人になることを、著者自身も含めた多くの人たちの姿が証明している。
そもそも、文学的な評価や価値は、“衝撃的”とは関係ない。オースティンの『高慢と偏見』は、極めて日常的で、衝撃などないが、世界的名作であり、発表から200年たっても読み継がれている。世界的名作と比べるのは酷かもしれないが、本作を読む人は、その程度の作品と考えて、手にとって欲しい。
本作が持つ価値をあえていうなら、ある時代の“風俗”を描いたことと、同時代の評価がいかにあてにならないかということ、文学賞を取っただけの若者の存在が社会現象にもなった最初の例という、資料的な価値だけである。
私に子どもがいれば、読ませたくない作品である。ただし、それは“性”が描かれているからではなく、時間の無駄になるからである。
この20年間にぱちんこ業界に起こった様々な事件を、細かい事実関係はもちろん、
その時の当事者間に存在したニュアンスまで伝える渾身のルポルタージュ。
筆者の意見を極力排除した内容であるため、ぱちんこ肯定派にとっても否定派にとっても
理論武装のアイテムを目の前にずらりと並べられた印象だろう。
読んで受ける感想は人それぞれだろうが断言できることがひとつ。
今後のぱちんこ業界に関するいかなる議論もここに書かれた事実を踏まえてからでないと
何の意味も持たない。
|