「利休にたずねよ」が面白かったので、同じ著者の本を探して読んでみました。 こちらも章毎に読みきりで読みやすいです。
信長の頃に日本に来たヨーロッパの人一人ずつに焦点を当てて、 日本をどう見ていたのか、 日本のどこが異様にうつったかが物語になっています。 日本を好んだ人、好まなかった人いたわけですが、 それもよく描写されていて面白いです。 今まで特に意識したこと無かったけれど、 確かに「ちょんまげ」を初めてみた人達の驚きはすごいものだっただろうなと思います。
また、今度九州に行く機会があれば、 是非キリスト教や当時の南蛮貿易を意識して町を巡りたいと思いました。
歴史小説の面白さはやはり、時代の遠く離れた当時の人物を 身近な人としてありありと感じられることです。 さらに今回は一人の日本人として 改めて日本の良さ、日本文化の面白さを感じることができました。
確かにあまり名前を聞かない人物ではあるが小説内容がすばらしい。鋼に関する記述も実に詳しく単なる小説に終わっていない。素人が見たら一見区別の付かない刀の表情もプロがみればその表情が見分けられ何を語っているかが分かる表現が豊富で感動させられた。歴史小説305作品目の感想。2010/11/21
本能寺の変を題材とした作品は、話題となったものだけでもいくつもあるし、不思議なことに現在に至るまでコンスタントに新作が生まれてもいる。 そうした作品では「黒幕」が一つのポイントになっていることが多い。中世から近世へと日本の歴史を一人で一気に進めた信長が、日本史の中でも有数の劇的な死に追いやられた本能寺の変は、表現者や歴史好きだけでなく、多くの人の心を引きつける。
しかし、本作では、そこに焦点を当てていない。「信長 死すべし」という言葉があたかも集団催眠で導かれた共通意識のように、人々の心を動かして行く描写は、さすがの実力と思わせるのだが・・・しかし、これだけ?それで?という気持ちのままに終わってしまった。 正親町帝の密勅というネタは珍しくなく、公家等の配下の動きを軸にした点は面白いが、大きな高まりにはなっていない。ただ、終盤で本能寺の変が起きてからの彼らの何ともいえない急転直下ぶりはユニークな味わいとなっている。密命や黒幕が登場する本能寺本の多くが肝とする謀略や意外性を排し、策略なき陰謀というところは、朝廷・公家が起こした歴史上の出来事にかえって合致するところで、意外と腑に落ちた。
ちょっと気になったのは、光秀が叛意を抱く場合の定番である「現有領地召し上げ、今後切り取り自由」というリストラ宣告が本作品では採用されていない。信長は終始光秀に傲慢・暴君の感があるが、それだけで光秀が密勅になびくというところは説得性を欠くのではないか。
決して拙くはない、むしろ、上手いのだ。しかし「旨い!」と唸るところに進まない。 そう、多少の拙さがあっても、新たな「本能寺の真相」があれば、思わず「おお!」っと唸ることに、読み手が馴らされてしまっているのだ。 でも、本能寺作品や信長モノに多く接していない方には、よい入門書ではあると思う。ここから、サスペンス系の本能寺本に進むと面白くなってくるだろう。
山本氏の作品自体は素晴らしい出来栄えである。特に最後の張り詰めたクライマックスは、利休の異様な本質を露呈させる設定で、長く尾を引く余韻をかもし出す。しかし、作品の直後におかれた宮部みゆき氏による「解説」は、そんな緊張感と余韻とを一気にぶち壊す無神経さにあふれている。松本清張賞やら直木賞やら、高名な文学賞の選考委員をしている人からは想像もできない軽薄な内容で、秀逸な作品を読み終えた直後に、こんな解説を読んでしまった事が悔やまれた。自分が作者の山本氏であったなら、さぞかし苦々しい不愉快な思いにとらわれたことだろうと思う。優れた作品の解説には、それなりの名文を選んでほしい。
京都の道具屋”とびきり屋”の夫婦が、毎回ある道具に関わり、そこに坂本龍馬や新撰組などが絡む、シリーズ第2弾。
1巻目は、道具の話、龍馬など幕末の有名人たちの話、”とびきり屋”のことなど、幾つもの事柄をそれなりに描こうとしたせいか、詰め込み過ぎた感じがあり、話の中心も道具や人物にその時々で変わり、今ひとつまとまりのない作品に思えました。 しかし2巻目は、必要以上に歴史上の人物たちと関わりをもたせず、出てくる道具を中心に話がすすみ、道具の逸話にもひねりがあり、全体的に1巻目より良かったです。 また本書は6話から成りますが、意外なカラクリのある「夜市の女」、微笑ましい「ええもんひとつ」、洒落た感じのする「花結び」、筋書きの妙を感じた「鶴と亀のゆくえ」など、幅のある内容で、面白みがありました。
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