歴代の清朝皇帝から引き継がれた礼服「竜袍」にこだわった溥儀が、日本皇室との触れ合いから、家族愛にも似た心の変化をみせるくだりは涙を誘います。 それだけに弟の溥傑が評した「伸縮自在の兄」の真実が悲しい。
人は独りでは生きられないが、個人の感情すら定まる時を持てなかった溥儀を評する言葉は浮かばない。 2度の訪日場面他の白黒映像も見ごたえありました。
講談社による中国史新シリーズの第10巻で、清末の太平天国運動から日中戦争勃発の頃までの約100年間を対象に、近代中国の苦悩と希望の歩みを説き明かすものです。気が付いたことは以下のとおりです。 (1) 中国近・現代史というと、惨憺たる暗黒の時代を対象とした上、何かしら思想含みの堅苦しい説明がなされるというイメージが強いのですが、本書では、当時の中国が置かれた過酷な環境に触れつつも、新しい機運の胎動といった積極的側面に注目し、改革に尽力した人々の活躍を平易な言葉で描いています。随所に魯迅らのエピソードなども交えており、読み物としても楽しめる内容となっています。 (2) 時代の方向性に強い影響を与えた数々の出来事、すなわち、太平天国の乱、変法自強、孫文や毛沢東らによる革命運動などにつき、「南の辺境から吹いた新時代の風」という言葉を用いたユニークな捉え方をしており、この見方を本書の縦糸としています。 (3) 袁世凱の開発独裁志向のストロングマンという側面を紹介したり、孫文と国民党の専制体質を指摘したりと、政治的立場にとらわれない率直な解説がなされています。 (4) 他方、この時代の社会的・経済的・文化的な状況については必ずしも力が入っているとは言えず、この点については些か物足りないものを感じる向きがあるかも知れません。 さて、本書では、台湾出兵から日中戦争に至る日中関係の激動にも少なからぬ紙幅が割かれています。こうした部分を読むにつけても、「あの時に日本がこうしていれば」とか「何故あの時に日本はこうできなかったのだろう」などといろいろなことを考えさせられました。そうした思いも込めて、広く皆さんにおススメしたい一冊です。
このサントラを聴くと思わず涙が出てくる時があります。特に冒頭の教授の3曲を聴くと、皇帝溥儀のそれまでの中国の王朝の歴史が終わる、絶望感だったり、目の前まで来ている崩壊に対する、ある種の現実逃避だったり、それがとにかく残酷な迄に美しくて、泣けてしまいます。個人的にはこんなに美しい映画音楽にはいままでふれたことがありませんでした。飯野賢治みたいに授業中にイヤホンで聴いてみたいな。そんな年齢じゃないか。
ことの発端は浅田次郎 蒼穹のすばる(歴史小説)から入り、史実(真実)はどうなのか知りたく読んでみたものです。 関心を持っていたのは以下; ・ 日本の太平洋戦争への過程を知る為の参考にしたい。 ・ 西太后は本当はどういう人だったのか? ・ 珍妃殺害犯はだれだったのか? ・ 宦官の実態をもっと知りたかった。
上記全てに対し、この本が情報を提供してくれます。 平行して読んでいた”紫禁城の黄昏”(これも史実)と一部で、内容・解釈が異なるところがある。 当時の中国は、世界中の野望・欲が集中していた大陸であり、立ち位置により考えがこんなにずれるものかと、これもまた興味深い。
1980年代以降、映像音楽の録音といえば、ジョン・ウィリアムズの指揮するボストン・ポップス・オーケストラとエリック・カンゼルの指揮するシンシナティ・ポップス・オーケストラによるものが、質的に突出したものとして存在してきた。 しかし、前者に関しては、オリジナル・サウンドトラックの演奏と比較すると、しばしば、演奏に生気を欠くことが多く、また、後者に関しては、近年になり、編曲に劣悪なものが増え、指揮者も精彩を欠くようになり、徐々にこのジャンル自体が魅力を失うようになった。 しかし、今世紀にはいり、日本フィルハーモニー交響楽団によってたてつづけに録音された6枚のCDは、上記の両横綱の録音と比較しても遜色のない、高水準の内容を誇るものである。 沼尻 竜典と竹本 泰蔵という有能な指揮者の的確な演出のもと、20世紀の古典ともいえるハリウッドの代表的な作曲家の傑作の数々が実に見事に奏でられている。 これらの演奏の特徴は、あえていえば、オリジナルの魅力を過剰な演出をくわえることなくありのままに表現していることにあるといえるだろう。 いずれの作品も、世界中に配給される映像作品の付随音楽として作曲されているために、もともと高度の娯楽性と表現性をそなえた作品である。 ここに収録された演奏は、それらの作品が堅実な職人性のうえに自然体に演奏されるだけで、視聴者に無上の歓びをあたえてくれることを明確に示していると思う。 いずれにしても、20世紀後半、正当な評価をあたえられることなく、ハリウッドの片隅において高水準の管弦楽曲を創造しつづけた数々の現代作曲家の労作をこうしてまとめて鑑賞してみると、あらためてそれらが実に良質な作品であることに驚嘆させられる。 そこには、紛れもなく、最高の職人性と大衆性が見事な結合を果たしているのである。 日本フィルハーモニー交響楽団による6枚のCDには、そうした身近なところに存在していた現代芸術のひとつの奇跡が封じ込められている。
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