とても感動しました。
西郷隆盛。明治維新の「三傑」に数えられる英雄の1人。
それが幕末の動乱を乗り切った維新の黎明期になぜ「逆賊」の汚名の着て不遇の最後を遂げねばならなかった?
話は幕末の頃、薩摩藩主・島津斉彬が逝去したことが発端になる。
斉彬に見出された西郷は悲嘆し、自害しようとするが勤皇の僧侶・月照に説得され翻意する。
だが、幕府の安政の大獄により月照と西郷は追われる身になる。
幕府を恐れる薩摩藩は2人を切り捨てようとし、西郷だけが生き残る。西郷は南海に流罪。
雌伏の時代だった・・・・・・・。
前編は幕末一色だが、数々の維新の事件は流されるだけで、むしろ西郷の家族にスポットライトが当てられる。
この西郷の家族的な背景、幾度の死の危機を乗り越えた経験が後半の悲劇を際立たせるための「布石」となるのだ。
数々の同志の犠牲を得て「明治維新」は成る。
西郷隆盛は江戸城明け渡し・戊辰戦争を経て「参議」として維新の中枢部に参加することになる。
だが、動乱期の幕末とは異なる苦難が西郷を待ち受けていた。
武士たちを新時代の軍隊の主役に据えようと構想する西郷に対して、大久保・木戸・岩倉等の参議は
「農兵」を中心とした国民軍を創設しようとしていた。
そんな有様だったから他も推して知るべし。
政府内は「旧薩摩・長州・土佐・肥前の4藩の代表たちによる権力争いの場」と化していた。
そんな中、大久保・木戸・岩倉らが欧州諸国を視察する外遊に出発。
留守政府を預かったのは西郷と板垣・後藤といった「旧土佐藩」出身者と、江藤・大隈・副島「旧肥前藩」出身者。
土佐・肥前に自分たちの留守に勝手なことをされることを恐れる大久保たちは
「重要事案の決議は先送りするように」と言い渡す。
だが、帰国してみれば外遊前の約束は反故にされ、留守中に数々の政策が実行されていた。
そして鎖国状態を続ける朝鮮に使節団を送り、開国させようとする所謂「征韓論」が留守政府によって実行されようとしていた。
西郷は自ら使節団の団長となり朝鮮に赴こうとするが、帰国した大久保・岩倉・木戸らの策略によって閣議は覆された。
西郷・江藤・板垣・後藤・副島ら参議は辞表を提出して野に下った・・・・・。ここに「西南戦争」への一本道が開ける。
政府の失態はこの時、西郷の下野を止めなかったこと。
警察・軍人関係には西郷を慕う旧薩摩藩士が多数おり、彼らも次々と西郷を追う形で職を辞して薩摩へ向かうことになる。
それは中央から遠く離れた九州の南端の地に「政府に不満を抱くものたちが一大勢力を構成する」ことを意味する。
逆に言えば頭目である西郷を集団から離した東京に留め置けば、情勢は違ったはずだった。
内政重視とはいえ、征韓論を止めることにどれほどの意義があったのか?
朝鮮政府が西郷を殺したとは思えず、欧米列強の南下政策に対する砦として朝鮮を確保する必要性からも征韓論は認めるべきだったのでは?
帰郷した西郷は私学校を設立して血気にはやる若者たちを抑えようとする。
けれど、西郷がそう思えば思うほど周囲は西郷を政府に反抗する勢力の旗頭として慕い、政府は西郷を警戒するようになる。
西郷さん自身に政府の藩閥体制に不満があったであろうことは確かだが、彼は明治政府に表立って反抗する気など毛頭なかったはずである。
「こうとしか生きようのない人生がある」
作品のテーマソング「遙かな轍(わだち)」に歌われるように、西郷さんは望まずして「歴史の表舞台」に担ぎ出された。
西郷さんほどの人物が戦闘の勝敗を読めぬはずがない。彼は負けを承知で戻れぬ道への一歩を踏み出した。
それはかつての主君・島津斉彬が逝去した際に失った「死に場所」を求める最後の旅路となった。
西郷に先んじること数ヶ月前。同じ維新の「三傑」である長州の木戸孝允が京都にて病死する。
彼は「西郷を死に追い詰めた明治政府の体制の矛盾」に気付き、夢現の中に没する。
残る大久保もこの数ヵ月後に不平士族の手に掛かり、あえない最後を遂げる。
幕末の動乱期を切り抜けた三傑がいずれも維新10年と生きられなかったことは何を意味している?
時代は歴史を展開させる英雄がその役目を終えた際には、時に非情なまでの退場通告を迫るものなのかもしれない。
西郷さんは明治の矛盾を全て飲み込んで消えた。
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