必携・必読の超1級リファレンス資料である。
文字通り、三島由紀夫の生涯を克明な「日付」によって追っているのだが、その作業を想像すると絶句するしかない。
1996年までだが、没後についての事項も含まれており参考になる。
本書を示さない研究者は5流以下の論外である。
『決定版 三島由紀夫全集』掲載の各種書誌よりもこちらの方が、資料としても読み物としても断然良いと思う。
オススメ度は当然 ☆☆☆☆☆ 5つ。
同著者の 『三島由紀夫全文献目録』 『三島由紀夫の生涯』 とともに、本書は三島由紀夫研究には不可欠である。
・・・・・・・・・・・・ 『三島由紀夫「日録」』 著者・安藤武 A5判・上製・帯付・478P 発行・未知谷 1996/4/25
【内容】 三島由紀夫「日録」目次 凡例 生誕以前/7 誕生後(1925.1.14〜1945.8.15)/14 戦後(1945.8.19〜1970.11.25)/82 没後(1970.11.26〜1996.2)/423 三島色紙影印/465 引用文献/466 あとがき/467〜468 三島由紀夫研究文献目録・抄/469〜478
・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【帯・表】 「ペルソナ三島由紀夫伝」を書くにあたって多数の研究本をチェックしてみたが、群を抜いていたのが安藤武氏が蒐集した「日録」であった。処士研究者としての安麟氏の知られざる業績は、大学教授や文芸評論家をはるかに凌いでいる。しかも「日録」は無味乾燥な研究書とは異なり、天才作家の誕生から自決までの息遣いまで伝わってくるのである。 猪瀬直樹
・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【帯・背】 生誕以前から 没後を含む 全生涯!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【帯・裏・左】 ――読めば解る読者への質問――
祖父は政治家、父は大蔵官僚に何故なれなかった? 「假名手本忠臣蔵」松洛から三島への血脈は? 学習院高等科文化会の演劇脚本は何? 三島由紀夫の気質に一番あった作品は何? 子育てにお婆ちゃんが介入すると……? 三島が筋肉マンになる機会となった週刊誌は何? 居合抜で刀を鴨居に当てた、その目撃者は誰? 「鏡子の家」「憂國」〈切腹〉を結ぶ糸は? 三島にとって〈20〉という数の持つ意味は? 映画「潮騒」の主演女優は山口百恵の外何人?
【帯・裏・右】 古書価50万以上、何冊お持ち?
『岬にての物語』初版本 『盗賊』初版本(帯付) 『魔群の通過』初版本(帯付) 『金閣寺』限定・家蔵本 『ブリタニュキス』初版本(帯付) 『黒蜥蜴』限定本(異装三部) 『春の雪』試刷本(帯・函付) 『鍵のかかる家』超特装五部本
いわゆる学者・研究者ではない、個人による三島由紀夫関連文献目録。
昭和13年から平成12年までの雑誌・新聞・書籍などを網羅しています。
たんに労作と言って済ますことのできない一書です。
オススメ度 ☆☆☆☆☆ 5つ、でも足りないくらいです。
研究者、ファンは必読・必携。
安藤氏による 『三島由紀夫の生涯』 『三島由紀夫「日録」』 などとともに、「基本文献」の1冊です。
本文下段に多数のモノクロ書影(65葉)が掲載されているのも参考になります。
・・・・・・・・・・・・・ 『三島由紀夫全文献目録』 安藤 武・編著 発行所 夏目書房 発行日 2000年12月25日 四六判、上製、452ページ カバー・帯・スピン
【目次】 カラーグラビア(書影57葉)/4P 新聞・雑誌・他/7〜268 三島関係単行本/269〜390 書簡/391〜400 古書/401〜440 年譜/441〜451 後書き/452
これは「買い」です。その生い立ちから割腹自殺に至るまでを、評論家にありがちな独断と偏見に基づくのではなく、何よりも三島の残した小説や戯曲、評論に基づきながら再構成する書き方に好感を抱きました。「私小説」とは縁がないように見える三島の作品が、実はどれも彼の「変形私小説」に他ならないのだと納得させられてしまうエピソードが満載で、とてもタメになります。また、著者が三島と交遊が深かったということもあり、記述の合間合間に「生身の三島」が垣間見られる気がします。晩年へと記述が進むにつれて、あれだけ周囲にもてはやされながら「本当は誰にも理解されていない」という三島の孤独感が紙面から滲み出てくるようで、戦慄を覚えます。読んでいるこちらも知らず知らず感染させられてしまいそうです。三島をよく読んでいる人にも、またこれから読んでみようという人にもおすすめです。
精神と身体のうち、江戸は身体を型に嵌め、心は社会的個(医者)と自己規定的個(鈴の屋)とに分けて考えていた。しかし、大正時代以降、身体的所作=型や社会的個は封建時代の悪風であると見なして、排除していった。従って、社会との接点を失った自己規定的個だけが残ることになった。その社会での振る舞いを規定し、アイデンティティーを(わざわざ)社会に向かって説明したのが、「私」小説の流行だった。「明治・大正の文学」は「倫理道徳の教科書」となり、小説家は「微分的倫理家」、「倫理の実践家」であった。これは、分かる。分かりやすい。
But、「表現としての身体」というのは、よく分からなかった。二回目読んだが、分からない。「表現としての身体」と言えば、身体が言下に表現してしまったものを言下に感じとってしまうことを意味するのかと思った。養老もそのような意味で使っているようであるが、それではダメだと考えているようでもある。つまり、表現する=運動する主体としての身体にとっての表現ではなく、それを認識し統御する側の知覚系の論理になってしまう、すなわち、身体側の都合ではない、と。
ということは、本来的には、「身体表現」という言葉を、認識の言葉ではなく、運動の言葉として使わねばならないのであろうか。では、運動の論理とは何か?
そういうことが分からなかった。
情報量の多さに圧倒される。しかも、これまで多くの伝記作者が扱えなかった微妙な問題(「園子」のモデルとなった女性のことや、三島由紀夫の家系と被差別部落の関わりなど)にも積極的に踏み込んでいる点が評価できる。さらに、三島の自決にまつわる「なぜ45歳だったのか」「なぜ11月25日だったのか」という疑問に対しても明快な解釈を与えている。総じて、コアな三島読者に対しても目から鱗が落ちるような発見を保証する稀有の著作といえる。ただし著者の文章力にはやや難があり、主語と述語の関係が混乱したり、あるべき箇所に主語がないため文意が不明確になっていたりでいささか読みにくい。また、和書には珍しく人物索引まで付けてあるにもかかわらず誤植がやたら多いのも惜しい。しかし、それらの欠点を差し引いても、三島に興味を持つ全ての読者にとって一読の価値ある書である。
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