南部藩というのではなく「三陸海岸と浜街道」という分類がとても適切だと思う。 沿岸気質と内陸気質は大いに違うし、地理的にも 宮古湾を境に南北で沈降海岸と 隆起海岸とに分かれていて、生活の形も質も全然違っているからである。
あとがきにも書かれているように、「三陸の海が山を背負った海であった」こと それもとびきり急峻な山々の連続の中の少ない平地に人々が生活したことで生まれる 文化と地縁的なまとまりがあったこと。
はるか昔から海からの来訪者(流通や政治がらみ)があり、 山からの来訪者(山伏・マタギなどの杣人)があり、 そして何ヶ月もかけて海から塩や鉄を運ぶ人たちがいた。
それにしても地震や津波そして飢饉にヤマセと・・絶え間なく災害に襲われた 特異な地域でもあって、読み進むのが辛いくらいである。
近代になって、鉄道を通すことを国会で可決させた時の首相(原敬)の答弁がいい。 これぞ地域を知る宰相の弁だと胸がすっとした。
研究書としても 索引・年表・参考文献が書かれていて大いに役立つ。
東北の三陸地方は今回も含めて考えると、この100年程度の間に4度の大津波が来ている。本書では、明治29年、昭和8年、昭和35年の大津波をそれぞれ当時の生存者の声、報道写真、記事などを克明に拾い上げ、津波の前兆、実地被害について、独特の臨場感を醸し出している。
作者も言っているが、自身は地震、津波の専門家でもなく、予備知識もほぼない。いわば全くの素人である。それが素人の目線で史実を徹底的に追跡し、簡易な表現で冷静にそのまま表現したのだ。よって、表現も平易で読み進むごとに慄然とさせられ、まるで蟻地獄のように、「その世界」に引き込まれた。
私自身、本書は震災後に初めて読んだこともあって、過去の3度の被害がまるで、今回のそれの描写ではと何度も驚いた。被災地域名、海岸、河川、漁港名称など、毎日の報道と同じだ。津波の襲ってくる様子を記述した表現も、今回の映像を見ると驚くほどピッタリだ。
吉村氏も、東北の大地も海も、皆知っていたのだ。大地震、津波が襲来するとこうなるということを。それを現代人が「想定外」というのは、臭いものに蓋をして「想定」から「外」しただけではないのか。その意味では人災の側面も否定できない。昭和8年前後の出来事からなら、まだ記憶している住民も多かったろうに。
吉村氏によると、過去の大津波の後、居住禁止になった地域が三陸沿岸部にはいくつもあったが、やがて世代も変わると、居住禁止地域に民衆は戻ってきたという。また、400年足らずの間に、大小の津波被害が少なくとも20件発生しており、人的被害なども出ているのだ。
過去3度と今回が異なる点は、デジタルデータで被害状況が膨大に蓄積されているため、後世に伝える情報量が過去とは比較にならないことだ。今後津波の襲来自体を避けることはできなくても、徹底的な防御を講じ、民の安全を確保することは出来る筈だ。吉村氏が存命なら今回の被害には何と言うだろうか。
東日本大震災で受けた津波被害は、
ここに書かれていることとあまりに酷似しているように思える。
瓜二つなのは地震や津波の様子ではない。
被災のしかたのこと。
一例を挙げると、先日TVでの報道がある。
津波被害の及んだ地域には仮住宅といえども建ててはならないとした知事に対し、
漁業を営んでいた村民がなるべく元の位置に許可を出して欲しいと嘆願されていた。
いつくるか分からない津波のために日々の生活の不便は許容できないのも当然だろう。
しかしまた同じことが必ず繰り返されるに違いない。安全とは何か。命とは何か。
そして都会であれ地方であれ、自然と暮らしていくこととはどういうことか。
今回わたしたちが目の当たりにしていることとこの本に書かれた過去の記録を通じ、
考えなければならないことはたくさんあるように思われる。
『三陸海岸大津波』にはたくさんの被災者の声が記録されている。
『東日本大震災100人の証言 AERA緊急増刊 2011年 4/10号』と比べながら読まれるといいかと思う。
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