彫刻の顔、ジェームズ・スペイダーが出ます。 エロティックを演じるなら彼です。 アンディ・マクダウェルも渋いストーリーにはよく出ます。大抵欲求不満の自意識過剰な女の役ですね。 ストーリーはなかなか覚え易い、単純明快な流れです。 セックスレスの夫婦、夫は妻の妹とできている。妻は単調な生活の余り、少々精神が冒されている。 そこへ夫の旧友が夫婦の溝を表面に曝すべく、登場。 ゴタゴタ……。 ストーリーはおもしろいのに、全ての人物像を浅く浅く描いてあるので、考察できるほどのイメージが持ちきれなかった。 最近は「エリンブロコビッチ」や「オーシャンズ 11,12」とか、エンターテイメイト色が強い作品を撮る監督の処女作(?だったかな?)。 こっちの路線で行って欲しかったな…
購入して全編通して見たので、レビューを全編書き換える。
好きな映画なので評価は変えない。
改めて鑑賞して、初めて観るような感覚に襲われた。いい映画は何度見ても、初めて見るような新鮮さがあるものだ。
この映画、サイコ・セラピーとビデオという普通でない小道具を用いて一見、思わせぶりの映画を装っているが、実はごく単純な、心に傷を持った男女2人の一種のボーイ・ミーツ・ガールもの。結構笑えるシーンも多いことが再見して発見できたので、もう今となってはラブ・コメのジャンルに入れてもいいかも知れない。
で本ブルー・レイ盤。ハイデフなので当然だが、通常DVDと比べて画質の精細感、色数はぐっと増した。ただし、この作品、通常DVDの方がインディーズっぽい雰囲気があったので、そっちの方が雰囲気的には良かったような気がしてきた。
精細にしたところで正に精彩を欠くのだ。
「セックス」・「嘘」・「ビデオテープ」という3つのキーワードを
無理なく融合させたストーリーが印象的な作品であります。
まさに「三題噺映画」の傑作と言えるでしょう。
物語のキイワードがそのまんまタイトルになったみたいなシンプルさ。 ジェームズ・スペイダーのキャラがとにかく素晴らしい。ルネサンス絵画の天使像にも似た彼の美しさは、妙な部分でエキセントリックであるがゆえに、ストレンジャー的存在が際だつようになっている。彼があのような告白ビデオをコレクションしているマニアだとしても、自分自身がその被写体としてかかわるのなら、それは、共犯者として許容できるという女心をソダーバーグは見事に描いてみせてます。 あと、室内光(ライティング)が独特の柔らかさと、編集でなかなか面白いことをやっています。
この作品には、4人の登場人物が殆どの役割を演じている。
セックスを特別視しない姉妹、姉アンは価値を見いださず、妹シンシアは人生を楽しく過ごす道具と思い、対照的な二人の価値観は他の面でもかち合わない。
いろいろな女性とセックスを楽しむアンの夫ジョンと、その友人で不能のグレアム。
グレアムはなぜ不能になったのか、なぜ嘘つきでなくなったのか、作品中に明確には語られていない。
ただ、きっかけは9年前学生時代のエリザベスとの別れがきっかけになっているようには感じる。
全ては4人の登場人物に集約されてくるので、エリザベスとの別れもジョンがきっかけであると言う点が如何にもというストーリーだ。
グレアムは女性の性について語るビデオテープでしか、女性との関わりを持てなくなっている。
アンの性に対する冷めた見解は、虚飾でいろどられた未熟な女性そのものを象徴している。
そんなアンが震えながらグレアムに自ら心を開き、受動的な立場から自発的な立場へと自分を転換させることで、アンは虚飾の下に隠されている、ありのままの感情を見つけ出し、大人の女性へと変化している。これは男性的な視点であるとも感じるが、多くの作品で描かれる女性の脱皮シーンだ。
そしてグレアムも、ビデオテープを撮る側から撮られる側へと最後変わることによって、人生の傍観者から演技者へと変わっていく。
アンの子供がいない雰囲気の女性も(老け顔のアングロサクソンの女性として)よく出ていた。子供が居ない事情もあるが、簡単に離婚できる展開には、同じ悩みを持つ多くの女性にとって、行動力や立場への憧れと共に、簡素化し観客にわかりやすくしようとする意図的なものも色濃く作中に立ち込めている。劇中殆ど音楽も流れず、それでいて退屈せずに見終えることの作品ではあるが、ノンフィクションのような作りで、実は対照的で象徴的な人間像とその変化を象徴的に描こうとするフィクションの象徴的映画でもあると感じる。
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