「マアジナル」をフィクションだとすると、この「アルカナシカ」は(便宜的に)ノンフィクションとされています。ただ、二つの本を読むと、フィクション世界はノンフィクション世界を侵食して、ノンフィクション世界はフィクション世界へと侵食しています。ふたつの作品は一つの明確な境界線で仕切られるものではなくて、分けようとしてしまう線引きや行為そのもの自体に、大きな問いをつきつけてくる本でした。
小林秀雄が「信ずることと知ること」語っている文章が引用されます。
『不思議を不思議と受け取る素直な心が、何と少ないかに驚く。』
『科学は、この持って生まれた理性というものに加工をほどこし、科学的方法とする。計量できる能力と、間違いなく働く智慧とは違いましょう。学問の種類は非常に多い。近代科学だけが学問ではない。その狭隘な方法だけでは、どうにもならぬ学問がある。』
まさにこの態度こそが、一本の強い縦糸としてこの「アルカナシカ」の世界観を貫通しています。
理性や知性の限界を考えた大哲学者であるカントは「あなたがそのように見るから、そのような現実である。」と指摘しました。このことは、認識論における「コペルニクス的転回」と言われ、ドイツ観念論哲学のはじまりとされています。その壮大な学問のきっかけになったのは、カント自身が神秘思想家スウェーデンボルグの幻視体験が持つリアリティーに圧倒され、自分の理性が揺らぎ、日常の崩壊を疑似体験したからではないかと、この本で語られています。
そのように認識や理性の限界を丁寧に踏まえ論証した上で、物質とエネルギーに次いで、近代科学が扱う重要な第三の存在としての「情報」も話題の中に取りこまれていきます。この射程の広さには脱帽しました。本書では述べられていませんが、おそらく物理学者マクスウェルが提唱した「マクスウェルの悪魔」という思考実験の知識も根底にあるのだろうと思います。(物理学にとっての観測問題(<見る>行為)を通じ、量子論、統計力学、熱力学だけではなく、<情報>の概念が導入された。ビットなどのメモリー(記憶)とエントロピーやエネルギーとの接合が行われるきっかけになった思考実験。)
最後は、ランディさんのシンクロニシティー(=意味のある偶然の一致)を読み手も追体験しながら、占星学という大宇宙とこの生きている世界との相応の関係へと話が展開されていきます。
まさに、カントの墓に記されている「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない」(『実践理性批判』)を時空を超えて追体験しました。
高度な哲学的で形而上的な問題を、この世界の神秘や不思議さと織り交ぜながら、圧倒的な筆力で文章が展開していく様は圧巻でした。なかなか類書がない稀有な本だと思います。
兄の死に隠されたメッセージを知りたいと願う主人公ユキ。
昔の恩師そして恋人でもあった国貞とのカウンセリングでその謎に近づこうとする彼女だが
自分が幻覚を見、そして精神疾患と呼ばれても仕方ないような状況にいることを自覚し始める。
そんな彼女に求婚してくる頼りないカメラマン・木村。
大学の同期で今ではオカルトを研究している本田律子。
同じく大学の同期で医学部に入りなおし臨床科医になった山岸。
「コンセント」をキーワードにそれぞれが考える「生と死」
そして「正気と狂気」「精神疾患」とは何か?
人を生かすエネルギーはどこからやってくるのか?
などをそれぞれの立場から考えるお話。
と言っても専門用語がギシリということはなく
露骨な性描写がたくさんあるのにいやらしくなかったり
読んでいて先が見えるのにうまくじらされたり
登場人物の設定、人間関係もやり過ぎない程度に複雑だったり
もちろん登場人物たちは一様にどこかおかしな人だったり・・・と
田口ランディ ワールドがいい感じに展開されています。
エンターテイメント性高く精神世界を描いてあります。
と言ったらいいのかなぁ。
一種のホラー小説として読んだ。盗癖とは人格障害だ。そして田口ランディは盗癖のある人格障害者だ。「エッセイで嘘をついてもかまわない」と平気でいう神経はもう常人にはついていけないワールドに入っている。この人は少し病院で治療を受けたほうがいいと思った。
今までに読んだどの作家の作品より一番現実感があった短編恋愛小説。 処女作「コンセント」に共感してしまったというのもあるけれど、田口ランディの小説は肌に合う。 中にはリアル過ぎる作品もあるけれど、「島の思い出」「エイプリルフールの女」「真実の死」中でも「恋人たち」には嵌った。 落ち込んだときに、江國香織、唯川恵、山本文緒の小説を数多く読んで癒されたけれど、田口ランディの小説は同じ恋愛小説だけれど、弱っているときには読めないなと感じた。 あまりにも現実に近いからだと思う。
プリマー新書に入ったとはいえ、内容は濃く、興味深く通読することができた。ヒロシマ、ナガサキから第5福竜丸、JCO事故、さらに福島原発と、計5回もの被ばく経験を持つに至った日本において、原子力の平和利用をどう「再考」していけばいいのか。そんな問題意識に立った科学エッセイで、広範な文献・資料収集とその解読、専門家との対話などを踏まえた、情理かねそなえた論考になっている。筆致は丁寧で、叙述の構えは穏当。いささか回りくどい部分も散見されたが、全体としてはまぎれもない良書だと受け止めた。
結論的に示されているのは、原子力に向けた「倫理」の確立、そして見解の対立を承知したうえでの「意見交換」の必要性といった辺りか。やや難解な、あるいは少し呑み込みにくいスタンスだという一面も残るものの、長年の取材と考察を踏まえた精一杯のアピール、ということだったのかもしれない。
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