シンガーソングライターとしての飯島真理、マクロスの「リン・ミンメイ」としての飯島真理。 どちらの飯島真理を知っていても、いなくても、彼女の魅力を存分に楽しめる名前の通りのベスト盤。 ポップで優しさ溢れる曲調と、ファンタジックでストーリー性のある歌詞の世界が見事に調和し、80年代日本のポップシーンにおいて彼女でしか造り得なかった独自の世界が広がっている。 正直マクロスやリン・ミンメイを断片的にしか知らなかった自分。 しかし、改めてここで「愛・おぼえていますか」を耳にし、その曲や歌声の素晴らしさに感動した。 ただこの作品残念なことが一つ。彼女は他にも優れた曲を多く作り出し歌っていたのに、収録曲数においては価格に相応した内容の充実度であることかな...
久しぶりに面白い歴史小説だった。作者は無名であるが情景描写、特に戦場シーンはうまい。時代考証もちゃんとしているのでストーリーにも無理はない。司馬小説の焼き回し的時代小説ではなく、オリジナリティがあり、話の展開も面白かった。鉄砲隊を作ったのは信長ではなく、父の信秀だった点や秀吉の出身が卑賤ではなく、れっきとした家柄であった歴史的新事実も興味深い。実に面白いエンタテインメント作品である
まず言えることはこの本は今の日本が抱えている問題の核心をついているということです。タイトル「戦争はどのように語られてきたか」これは実は「戦争はどのように語られてこなかったか」の裏返しになっていることが読み始めるとすぐにわかります。つまり、この本は日本にとって、冷戦の枠組みの中でアメリカの「核の傘」に入り、アジアで経済発展を続けて行こうとする時邪魔になる過去を隠すためにどのような方法が(意図的、無意識的に関らず)とられてきたか、の検証にもなっています。例えば火野葦兵についての対談では「兵隊センチメント」への指摘がなされました。それから上野千鶴子さんは70年代に流行した「自分史」の投稿の中に自己正当化的なものが多いと指摘します。他にも様々「過去を語らないため」の「書き換え」に用いられた技術(センチメント、自己正当化、客観性という名の傍観)が次々と洗われます。そして最後には日本人は歴史を十分に語ってこなかったから現在自分たちを捉えている問題の本当の姿がわからず、戸惑っている、ということが見えてきます。それが私がこの本を読んで気がついたことの概要です。しかし、私見ですが、90年代以降、冷戦構造が崩れ、アジア経済も勃興してゆく中で、日本はとうとう「歴史を語ること、あるいは受け入れること」を迫られているように思います。そうした中この本はとても大事な役割を果たしていくのではないでしょうか。中にはかなりきちんと戦争を語ってきた文学作品もあり「黒い雨」と「父と暮らせば」はこの本の中でそうした一例として出てきています。他にもこの本のよさはたくさんありますし、レビューを見ておもしろいと思った方はもちろん、違うんじゃないの? と思った方も是非この本を直接手に取って確かめてみてください。
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