この映画を劇場公開時にミニシアターで見ました。一緒に行った友達はまったく面白くなかったと語っていました。物語は淡々と進んでいきます。福永ワールドが忠実に再現されています。盛り上がりを求める人にはまったく面白くないかもしれません。私自身は大変気に入り5回ほどあちこちの映画館を渡り歩きました。
大林監督の映画はかなり観ましたが、この映画はもっとも監督の趣味で創られた映画だと思います。ほとんど商業ベースのことは考えていないような気がします。ご本人のナレーションも思い入れの印だと思います。
主演の小林さんは圧倒的な存在感を放っています。「かもめ食堂」や「めがね」が好きと思う方はぜひこの映画を観てもらいたいものです。
大林映画の臭みが今一鼻につく気がする小生だが この作品は素直な佳作だと思い 一番愛している。なにより柳川が綺麗であり 小生もこの映画を見て同地に行ったほどである。大林映画の小細工的なテクニックがなく ごく普通に撮っている点が実に好ましい。特筆は やはり主演の小林聡美。全然美人ではないが 実にはまり役で本当に良い。最近のコメディエンヌの彼女も好きだがかつては このようなしっとりした役もやっていたのだなあと感銘を受ける。
福永武彦は、爆発的に読まれた作家ではない。全盛期の昭和40年代も、ひっそりと愛されるタイプの作品を、すこしづつ世に送って来た。そして、今は、書店の陳列棚の一等地から後退して、必死で捜さないとないかもしれない、という状況になっている。
でも、それでいい。できれば誰にも読んでほしくない。僕がもっとも好きな日本の作家なのだから。読んでもらうひとがひとり増えると、彼の小説の純粋さが、ひとつ薄れるようでいやな気がする。だから、ほんとうは福永の作品のことを、誰にも紹介したくはないくらいだ。
「草の花」は、後年の大作「死の島 (新潮文庫 草 115 H) (新潮文庫 草 115H)」などの複雑で緻密な小説構造を、もっとも素朴な原形としてみることができる小品だと思う。
小品といっても、びっしりと文字が詰まった彼の作品は、それだけで、活字中毒でない人々を辟易(へきえき)させるのに十分だ。辟易した人は、どうか彼の読者から脱落してほしい。引き止めはしない。のぞむところだ。ファンが減れば減るほど、自分だけが秘かに愛することができるから。
あの時代に存在した、きまじめな恋愛が描かれているので、きっと現代を生きた我々からいうと「何もはじまらないうちに終わっている」と思うだろう。
現代が生み出すことができない、過去の時代に描かれた作品。思いを寄せた相手への刻むような心のきしみ、最善を尽くしたけれども、報われることがなかった思い。そんなぎりぎりの恋愛感情を、青春時代の俺も、持っていたはずなんだ!と思い起こしてくれる作品なのである。
ある神職さんから、現代語で日本書紀を読むならと紹介された本です。
文章もこなれていて読みやすく、解りやすい本です。
文庫本と言うこともあり、日本書紀全てではないのですが、重要なところは入っています。全部入っていれば言うことなしです。
畑中良輔指揮慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団と福永陽一郎指揮関西学院グリークラブによって演奏される男声合唱組曲『雪明りの路』を聞き比べ出来ることは嬉しい限りです。
大学の男声合唱団がメンバーの減少により往年の輝きを見ることが出来なくなった現在、このような過去の名演奏をたどることは日本の男声合唱の歩みをたどることと同意義を見出すことになりそうです。
御存知のように東の代表慶應ワグネルと西の代表関学グリーの競演です。ステージを数多く聴いてきたファンにとってこれらの演奏は、30年以上前の収録ではありますが、往年の素晴らしい演奏を追確認できます。厳密に聴きますと、微妙な和音の狂いも見うけられますが、当時の学生諸君の思いが如実に伝わってきます。
「春を待つ」の温かい響き、「月夜を歩く」の密集和音のハモリ、「雪夜」の終盤の美しさ、名曲揃いですね。
「雨」は、吉村信良指揮京都産業大学グリークラブと北村協一指揮立教大学グリークラブによる演奏の競演です。この終曲「雨」は多田武彦による数多の作品の中でも一番美しい趣を携えた曲でしょう。八木重吉の簡潔な詩にとても美しいメロディとハーモニーを充てています。男声合唱の真髄とも言えるハモリを体感できる曲なのは間違いありません。尾形光雄さんのテノールソロは感涙ものでした。
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