引き際というのは本当に難しいものだと感じた。
前半に1949年の共産主義革命から始まる現代史が綴られ、丁寧に作られているという印象だ。歴史の文脈に位置づけてこの事件を見ると「全ての権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する。」というアクトンの言葉が実感できる。
学生たちの要求した「民主化」は、趙紫陽ら共産党内改革派を動かし一定の成果を得た。これが引き際の第一のチャンスであった。6/4の虐殺前、「人民解放軍」が北京に集結した段階が第二のチャンスだったろう。しかし実際に解散が決められたのは、広場に進軍する軍によって多くの人たちの命が失われた後だった。
流血こそが共産党政府の本性を暴きだし、人民を覚醒させ、中国を変えるのだという柴玲(チャイリン)の言葉は空しい。「学生たちに流血のために広場に残るんだとは、思っていても言えない」と泣きながらインタビューに答えても、民主化運動の指導者としてはヒロイズムに酔ったあまりにも極端な戦術を取ってしまったと感じてしまう。言論の自由がなく、解散しても処罰は免れないという事情を前提としても。
とは言え、仮にうまく戦線をおさめることができたとしても、独裁政権は何も変わらないだろう。改革派を後押ししたとしても、複数政党制や言論の自由を獲得できるわけではない。その意味では「私たちには広場がすべてだ」という柴玲の言葉は切なく理解できる。
貴重なドキュメンタリーである。
論客・石平氏の日本に帰化するまでの半生の記。
文化大革命の嵐が吹きすさぶ中に少年時代を過ごした
著者が、日本でみたものとは‥。
民主化運動の挫折から、訪れた日本。
そして、友人とともに何気なく訪れた京都。
広大な紫禁城を見た眼には、京都御所の佇まいはあまりに
質素に映ったことだろう。
しかし、著者の眼は外見にとどまらず、さらに深奥を抉る。
それは、富や権力で統治した列国の支配者とは一線を
画する皇室の姿であり、かつて自分が祖父から伝えられ、
現在の中国では失われた「礼」の文化、「忠恕」の心であった。
命をかけた祖父の薫陶に導かれるように渡来した著者に
とって、果たして日本は安住の地となり得るか。
かつての歴史と文化を否定した中国は、最早帰るべき地とは
なりえないのだろうか。
日本人以上に日本を愛する著者の心の中には、祖国に裏切られた
悲しみもまた、見える。
私財を投げうってまで中国人留学生達を援助し続けた船橋に実在する八百屋さんの実話をベースにした映画。 昔、テレビのニュース特番かドキュメンタリーでこの八百屋のおじさんことを知ってずっと気になっていて・・・。
奇しくも映画撮影と公開の時期が天安門事件と重なった為、予定されていた中国での撮影は中止、公開も当時日本ではあまり日の目を見る事がなかったようです。 ただ、さすがの大林監督。事件から目をそらさずに正面から向き合った構成によって逆に心を打たれる映像に仕上がっています。 最後の映画に出演した留学生達が集まって歌うシーンなども胸が痛みます。
映画自体は監督自身が現実の船橋の八百屋さんの空気感出すのに自然に撮った為、雑音が多くセリフの一つ一つがちょっと聞き取りにくいようですがドキュメンタリーぽくってリアリティがあります。
あまり留学生に入れ込んでしまった為に商売の方もうまくいかなくなり、家族に苦労をかけるシーンや奥様の苦労、家庭内でもめるシーンなどは涙無しにはみられません。 これらのシーンはかなりリアルに撮られていて撮影を見に来ていた実際の夫婦が当時を思い出して泣ていたというエピソードを監督自身が語っていました。
一時期はおやじさんの人がいいのにつけこんで奪うばかりにみえる中国人留学生が憎たらしく思えるほどにすざましいもの。
人助けとは生半可な気持ちではとてもできないと思い知らせれました。
ただ映画ではちょっことしか書かれていませんが現実の八百屋さん五十嵐勝さんのその後を知ることで(興味がある人はぜひ自分で調べてほしいです)長い目で人生を見つめた時、欲を持たず徳を積めばかならず自分に帰ってくるのだと希望というおまけがついてきます。
後、映画での八百屋の店先のシーンを見ると中国人留学生が値切ってばっかりでかなりひどいなと感じますが(実際そうだったのでしょうが)売れ残りを全部買い取ってくれたり、絶対に返品をしなかったという今で言うエコにつながるかなりいい話も五十嵐さん自身がしていてできればその辺りも描いてほしいかったかなと思います。
|