救済の技法
平沢進のソロ最高傑作な名曲ぞろいの7作目の、高音質規格・HQCDフォーマットでの再発盤。
既出のCDに比べて、確かに若干霞が晴れたような音になっています。
……が、ラスト曲のあとに間髪入れずボートラのベルセルク四連発という構成は
正直アルバムの余韻ぶち壊しでありがた迷惑な感じ。
せめて10秒くらいインターバルを置いていただきたかった。
なので★ひとつマイナス。
パプリカ [Blu-ray]
ぼくは、PS3をアクオスFHD(32V)にHDMI接続して視聴しました。
まず、その圧倒的な美麗映像と音声。
オープニングから一気に物語に引き込まれ、あっという間に90分間が過ぎてしまいました。
物語としては、他人と夢を共有できる画期的デバイスの“DCミニ”を巡るサイコ・サスペンスですが、『パーフェクトブルー』ほど残酷な描写は多くないので、今敏監督の作品が初めてという人にとっても観やすい内容だと思います。
序盤から世界観や登場人物を理解させる演出が上手く、随所で登場する難解なセリフも興味をそそります。
観ているだけで楽しくなる“夢の場面”の切り替わり描写(ターザンとか妖精とかロボットとかジャンジャン登場します)は、この作品の一番の見せ場ですね。
息をもつかせぬ展開のなかで、視聴者に勝手な自己完結を許さない綿密なシナリオは、感嘆の一語に尽きます。
終局が近づくにつれ、「まだ観ていたい!」という気持ちが強くなりました。
主人公・敦子とパプリカを演じる林原めぐみ以下、声優陣も超豪華。
江守徹の声は相変わらず迫力がありましたし、脇を固める古谷徹、大塚明夫、山寺宏一らの演技も抜群。
『パプリカ』の世界を盛り上げる音楽にも文句のつけようがありません。ぼくは観終わった後、すぐにサントラの購入を決めました。
総じて、百聞は一見にしかず。
この映画、かなりオススメです。
ヤプーズ・デ・ラ・クルスの犯罪的人生~96m巻・2枚重ねミシン目あり [DVD]
純さんがバキバキに活躍していた当時。自分はまだペエペエの小学生でしたので、せいぜい『T●T●のCMの』といった印象程度で、むしろ遅咲きボーイの私にとってはその程度で済んでいたのが幸いだったのかも知れないな。などと想いつつ。ここ5年ほどでようやく本格的に向き合えました。
とにかく圧倒的な存在感。最近このテの雰囲気を纏ったフリの『それっぽい』バンドを散見したりしなかったり。ややこしいな。とにかく今のところ純ちゃんには敵わない、と思う。どっちが早いとか遅いとか、本物とか紛い物とか、は関係なくて。根本的に。
バックの演奏も強烈で、レベルが全く違う。
ドスドスと文字通りドスの利いたリズム隊が最高です。
全く安心して聴いてられない、目が離せない。そしていずれは聴き手が置いてけぼりになる程にむしろ爽快感、強烈に愛らしい諸々の所作。声、歌詞。突発的なビブラートには鳥肌が立ちます。
ボートラ『受難』PV含めて全編ぶっちぎってますが個人的には『アンチ・アンニュイ』が特にいい感じ、『昆虫軍』も最高。そしてやはり『ヒステリヤ』は世紀の大名曲だと思います。ギターの音色も神がかってると思う。ありがとう功績。
SONY ステレオヘッドホン MDR-G74SL
まず、コストパフォーマンスはなかなかいいと思います。
ただし、本当にオーディオマニアな方にはかなり物足りないと思います。
普段JPOPなどを聞いてる方にはかなりおすすめです。
少しいい音で聞いてる気分になりたい方は是非どうぞ。
普通の付属品のイヤホンや、2000~3000円台のヘッドフォンとは
確実に音が違います。
それでも上位機種にはそれなりに劣りますが。
それと一つ、
長時間かけていると耳が少し痛くなります。
形の都合でそうなのでしょう。
SP-2
SP-2とは、音楽家平沢進氏が1994年から遭遇した、タイのGID(Gender Identity Disorder)たちのことを、被写体にし写真に撮り、テクストで解説された本である。と、同時に、平沢進氏が命名したその存在を指す言葉である。
SP-2たちは、最初、男性という性に生まれ、そして生きゆくなかで、自分たちの本当の性に気づき、その本質に沿って生きるべく、真剣に努力していることを、教えられる。
美しい人というのは、最初から美しいのではなく、限りない困難のなかで、それでも自分を卑しめることなく、美しくたらんと努力し磨かれ、光放つものだと、教えられる。
ただし、的をはずして努力することは滑稽である。真剣になりすぎ自身を追いつめることなく、真剣でありつつも常に問題に対し楽しむ態度も必要であることを、教えられる。
本書のなかで、わたしが一番好きなエピソードはひとりのSP-2、Helenのエピソードだ。
そのエピソードの冒頭には次のようなHelenの言葉がある。
" 私は容姿端麗ではありません。
あなたが今まで美しいSP-2の女性美を撮ってきたのなら、
私を使って人間を撮ってください。化粧もしません。さあ、始めましょう。−Helen(ヘレン)"
そして、エピソードのタイトルは「Helenの方法」である。
Helenのポリシーは、「理解を得るために、その時できる最善のことをする」「同時にショーのプロとして、楽しんでいない客が居れば、その時できる最善のことをして楽しんでもらう」というふたつであり、そのポリシーが遺憾なく発揮された、ある夜の出来事、平沢進氏が現場に居合わせたひとつの出来事、が、紹介されている。
ごく簡単に書くと、SP-2を差別する白人がツアーでショーを観劇にきて、SP-2のことをその場でひどく非難するのだ。それをステージ上の Helenは見逃さない。堂々と舞台を降りて、その白人のもとにゆき、その人めがけて、白熱の歌唱をくりひろげ、すっかり魅了させるのだ。
ことの顛末の詳細はぜひ本書を読んでほしい。そして、Helenの力強く優しいまなざしをポートレイトで眺めてほしい。
このエピソードは、本当に大好きだ。と、同時に、自分を省みるよい機会を与えられる。
意志をもって、"何者"かになるにはどうしたらよいのか。たとえば、母であるわたし。たとえばキリスト者であるわたし。たとえば人間であるわたし。
人は本質的なところで何らかの性質をもって生まれてついてはいるのだが、人はその立場に置かれたときに、意志をもってはじめて、その性質の何者かになるのだ。たとえば、母になる。たとえばキリスト者になる。たとえば人間になる。
「最善を尽くして」。
本書のなかで繰り返しあらわれるこの言葉。SP-2たちは、不理解のなかで、困難のなかで、けれど、最善を尽くして、良き何者か、すなわち良きSP-2になろうとしている。
わたしは、最善を尽くしているか?そして、その"何者"かとして生きることを幸せに思っているか?"何者"かとしてより良く生きることを意志を持って選択し続けているか?日常の中で、人生の中で。そんな問を投げかけられる。
そして、同時に、その問に対して、優美なワイ、"Yes"であり"はい"であり、存在を肯定する、優美なワイをもって、応答したい。という希望を与えられるのだ。