CROSS CHANNEL
さわやかな画風に、あっさりとした音楽。
シナリオも主人公がセクハラ大魔王なこと以外はいたって普通。
・・・最初の1週間は。
「適応係数」「祠」「アンテナ」など、
不可解なキーワードを読者置いてけぼりに、1週間して、明らかになるのは、
とてもエロゲーとは思えない展開。
KanonだろうがAirだろうがTo Heartだろうが、
ここまでのびっくりはないだろうよ、というのが感想です。
エヴァンゲリオンや2001年宇宙の旅並の謎の多さ。
そして、異常な世界に呼応するように狂い出すキャラクターたち。
彼らはまったく普通です。エロゲーの世界では。
でも、もしそれがリアルの世界に存在したら、
彼らは全員狂っているのではないだろうか?
そもそも正常な人間と狂った人間の差は何なのか?
脚本を書いた方からは、こんな皮肉な疑問さえ感じられます。
そして、どっと鬱ワールドに突き落としてくれた後で、
主人公が最終的に自分なりの回答を導き出すのが、
決して問題提起で終わらないこの作品の良さを感じさせました。
もし、この感想をプレイ後に見ることがあったら自分自身に聞いてください。
「あなたは群青色じゃないんですか?」と。
(私の群青色はこのゲームの謎を解けないアホっぷりです。)
CS Channel [DVD]
事変のPV監督が、児玉さんにほぼ固定され始めてから、他のミュージシャンとは、PVのクオリティが一味も二味も違う。 "プロモーション"ビデオと言われるように、楽曲の良さを際立たせたり、楽曲に装飾をする様な目的でPVは作られると思う。 でも、児玉監督の造り上げる"プロモーション"ビデオは、楽曲を"利用"して、ひとつのドラマを作っているように思える。 でも、その天才の児玉監督の映像が、絶対にでしゃばり過ぎないのは、また天才の東京事変の音楽が覆い被さっているから。 林檎さんは、これからもずっと、やっと見つけたこの天才を、手離さないと思う。
Chanel: The Vocabulary of Style
美と革新に彩られたブランド、シャネル。本書はその魅力の核心を、膨大なコマーシャルフォトによって明らかにする試みである。
このページの書籍は米国版。原書の英テームズ&ハドソン版とは表紙写真が異なるのみで内容は同一だ。他に仏/独/伊/西語版が同時発売されている。本体の重さは3キロ弱、“シャネルピンク”の布張りスリップケースが付属する。
著者ジェローム・ゴーティエはフランスのファッションジャーナリスト。服飾史研究家でもある彼は、この多面的な(時には「相反する」要素を内包する)ブランドを解剖するため、読者に11の異なる視点を提供する。
それは「ボディの解放」「リトルブラックドレス」「バロックの霊感」「シンプルシック」「アンドロジーン」「反逆」などであり、この11の章立てを俯瞰することで、社会の通念や服飾の伝統に挑み続けてきたシャネルの姿が浮き彫りになる。
テキストは短めで、本書の主体はカラー/モノクロ合わせて209点の写真である。1ページ1点(見開きもあり)のレイアウトを基本に、1920年代から2000年代までの作品が並ぶさまは壮観。創始者ココの貴重なポートレートも数点収録されている。
ただしその大半は80年代以降の、つまりラガーフェルド時代の制作であり、また並び順も時系列を無視したランダムなもの。それでも違和感が無いのだから、やはりこのブランドの個性は時代を超えている。
そうした編集の狙いはさておき、写真のクオリティの高さは圧倒的。巻末のクレジット(すべての写真についてデザイン年、デザイナー名=ラガーフェルドか否か、写真家、モデル、掲載された雑誌と編集者、発表年が記される)を見れば、特に写真家は知らない名前を探すのが難しいほど。
また被写体も文字通り「時代のイコン」と呼ぶに足るモデルやスターが並んでおり、そういうきら星たちが高価な(必ずしも「豪華な」ではないところがシャネルだ)衣装を身に纏う、あるいはほとんど纏わない姿を眺めていると、部屋がため息で充満しそうになる。なかでも序説に置かれたケイト・モスのウォーキングシーン(フォトグラファーはアニー・リーボヴィッツ)は鮮烈だ。
服を選ぶだけなら誰にでもできる。だが、服に選ばれる人はめったにいない。そして本書のページには、選ばれたひと握りの人々が並び、唯一無二のオーラを発している。それぞれの撮影手法には時代を感じさせる部分もあるが、その価値はコスチュームともども、決して色褪せることがないだろう。ここ30年ほどのファッション写真の動向を知るにも好適な一冊である。