神崎恵の3分からはじめる大人のアイメイク
一重、二重、奥二重、という目のタイプ別に、メイクの方法が載っていて、とても参考になります。使っている化粧品も高額のものばかりではなく、プチプラなものもあって、試したい内容でした。実際、やってみましたが、なかなかいい感じです。もうちょっと、チークやリップなど、他のパーツのことも載せて、より内容の濃い本だともっと楽しめたかも・・・。
Revita Lash(リバイタラッシュ) (まつ毛美容液) 4.1ml 【並行輸入品】
上のまつ毛は元々が長いほうなので、あきらかに伸びて増えたのが
下まつ毛でした。
美容院の担当も「あれ?まつ毛伸びましたか?」と聞いてくるくらい。
もう少し寝る前に毎日継続してみます。
良い買い物でした!
ひろみ―ガンと覚醒剤に冒された元組長のオンナ、その壮絶人生
組長の女と薬とガンとの事ですが、細木数子魔女の履歴書(溝口敦)読み比べると、やはり、この著者の方が生まれや家庭環境には、恵まれてながら、中途半端な生き方や現在の不幸の身を嘆くのか、この本の著者と女ヤクザと言われ、否定する細木数子との違いを考えさせられる本ですね。
表裏井上ひさし協奏曲
作家・井上ひさしは、2010年4月9日、享年75歳で亡くなった。死因は、肺癌であった。
しかし、入院中の井上は、実の娘である長女(都)と次女(綾)の見舞いを1度も受け付けず、通夜や葬儀にも2人の参列を許さなかった。さらに、「偲ぶ会」の案内も通知も2人には届かなかった。井上が書いた芝居だけを上演する個人劇団の「こまつ座」の代表となっていた三女(麻矢)は、姉2人とは仲たがいしていたのである。
西舘は、序章でこう書く。
「「遺族」の中に娘2人が含まれてなかったということは不可解だ。死さえも知らされない親子関係などあり得ないし、「人間を大きく包み込む」文章を、戯曲を書いてきた当人の生き様は、それではなんだったのだろうか。たとえ親に刃向かう子であっても、その存在を無視するという侮辱的なやり方は、私は人間として許したくなかった。
こまつ座で公演が遅れるたびに泣きながら詫び状を書いていた娘(引用者注:長女の都)に、最期になって、「おまえは娘ではない」など、どうして言えたものだろうか。一番身近にいた二十四年間をゼロにすること、無残にも一人の人間を葬ることを、実の父がしていいとは誰も思いはしないだろう。
私はその時、命をかけても娘の生きた証を、人格を取り戻し、自信を付けてあげたいと思った。
井上さん、あなたは人間の尊厳にかけて平和運動をしていましたね。なぜその愛を少しでも娘達へ向けられなかったのですか。人間を、その人格を葬ることなどあってはいけないし、まして葬られるのが娘や孫であれば、母親は誰が味方しなくても立ち上がるのではないですか?亡くなった今でも問いただしたい。」
とても長い引用になってしまった。許されたい。
私には、この西舘の言葉が大変衝撃的だった。この言葉に引きづられるように、本の中になだれ込んで行った。
私は、井上ひさし夫妻の離婚劇が報道された時、単に、当時、妻であった西舘の不倫問題がきっかけであり、この糟糠の妻の裏切りに激昂した井上が暴力をふるったことなどがマスコミに報道されていたのを知っていたが、それ以上、この問題には深入りしなかった。
しかし、今回、西舘の本を読み、夫であった井上の家庭内暴力(DV)が日常的に行われており、そのために、妻であった西舘、また、その親族が犠牲となっていたことを知り、とても衝撃を受けた。
そもそも、私は、井上ひさしは好きな作家の一人であった。そのため、私は、井上の作品を多少愛読した時期がある。それは、『青葉繁れる』、『吉里吉里人』、『新釈遠野物語』、『四捨五入殺人事件』などの小説、『自家製文章読本』、『私家版日本語文法』などの一連の日本語論、『国語元年』などの演劇作品である。
それらには、井上独特の、とでも言うような、ユーモアが盛り込まれていることも多い。
でも、そんな井上が、このような人間だったとは、正直言って、「驚き」であった。
西舘によれば、井上は、「徹底した天皇制批判論者」だった、という。しかし、私は、井上こそが、井上家の中に君臨する”天皇”そのものだったのではないか、と考える。
西舘は、こまつ座の存在についてこう書く。
「こまつ座は、私が代表でいた時から「井上ひさし」という作家の作品だけを上演する個人劇団だ。この劇団の使命は「作家を守る」という一点に絞られていた。
赤字の責任は芝居制作の予算に携わった人間がとり、作家はもっと崇高な立場に置かれる、というスタンスは彼の美学であり、「才能」という大義を前にして誰も何一つ口答えや意見ができなかった。」
「才能」ある作家のために、犠牲となる家族。こう言ってしまっては、身も蓋もないかもしれない。
ただ、私は、この本を「井上ひさし」という作家個人をやり玉に挙げた暴露本という扱いにはしたくない。
「井上ひさし」という作家は、日本劇作家協会理事、日本文藝家協会理事、日本ペンクラブ会長などの要職に就き、数々の文学賞の選考委員に名を連ねてきた公人であるからである。
とにかく、井上が、放送作家から身を起こし、直木賞を受賞し、高名な作家・劇作家となる道程で、妻であった西舘の苦労がめんめんと綴られる。
井上が、自身で「遅筆堂」などと称していたように、出版社の編集者が要求する締切に原稿が間に合わないことが毎度であり、そのため、西舘は、両親や親戚などを病気だと何とかウソをついて切り抜ける。こまつ座の運営を始めてからも同じように、演出するための台本が公演開始日までに間に合わず、負債が溜まり、そのためにそれを穴埋めするために、西舘の両親も協力を余儀なくされる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
このような赤裸々な告白が綴られる続ける。読む方は、とてもとても身に応える内容である。
読者としては、とても読んでいて、楽しい内容ではない。正直、読後は、暗い気分に落ち入った。
ただ、このような本は、井上の作品を多く刊行している大手の出版社(名前は差し控えるが、著名な版元のことである)では、絶対出版することは出来なかったであろう。井上のイメージ・ダウンに直接つながり、商売が成り立たなくなるからである。
この本は、いつか、井上の作品が研究・分析され、世の中の動き、井上自身の思想(政治的発言)などと絡めて、是非参考にしてほしい作品である。
また、この本は、サブカルチャーとしての演劇史としても参考になる本でもある。
井上の「こまつ座」、俳優・小沢昭一の「芸能座」、つかこうへいの「つかこうへい劇団」などとの比較も興味深いと思われる。