ビルマの竪琴 (新潮文庫)
久し振りにこの名作をアニメで読ませて貰ひました。戦友を思ふ氣持、同胞を追悼する氣持が静かに伝って参りました。音楽に親しみ、情感を育んで来たこの舞台たからこそ起きた大きな祈りの営みに思へてなりません。「埴生の宿」の歌が日英双方の兵隊の心を癒してくれた奇蹟の出来事に、人の世のつながり、絆の可能性を思はせてくれます。不朽の戦争童話だと思ひます。
ツァラトストラかく語りき (下巻) (新潮文庫)
ニーチェの代表作を平易に理解できる本です。
比喩に富む著作にその解釈を各ページ毎、併記してあるので、専門知識などなくともすらすらと読み進めます。
下巻では永遠回帰について語り始めます。
既成の形而上学概念に代わる新しい価値観を模索するツゥラトストラは山伏のようでもあり、その世界に引き込まれます。
歴史的影響(ナチス)とニーチェの真意を比較して読むと面白いと思います。
その流れるような文体と含蓄に富む文章からは種田山頭火を想起しました。
一般に思われるような、いわゆる哲学書とは全く別物です。
ビルマの竪琴 [DVD]
この映画は、是非、一度は見るべきでしょう。日本映画を代表する名作の一つです。
見終わってからも心にジーンと来るものがあります。
戦後60年という時を経ても、今だに出てくる日本兵の遺骨…。
アジアの各地では、帰国を待ちわびるこうした遺骨がまだ沢山残っている。
この映画の水島上等兵は、ビルマで終戦を迎え、帰国する寸前であった。
しかし、至る所に転がる日本兵の遺体の山を見て唖然とする。…そして、それが彼の運命を大きく変えてしまった。
ビルマだけでも大勢の日本兵が死んでいたから、彼が一生かけても葬ることの出来るような作業ではなかったのだが…。
ビルマの竪琴 (偕成社文庫 (3021))
水島、隊長、古参兵など、登場する兵士の人々の言動は美しく、ビルマの情景を叙述する文章も美しく、読んでいて心が洗われる思いがする。透明な文体は、宮沢賢治の童謡を思わせる。
私が遅ればせながら本書を読んだのは、今枝由郎氏が自著「ブータン仏教から見た日本仏教」のなかで、「幸福の国」ブータンを表現するのに本書を引用していたからだ。
「...こんなに弱々しい、だらしのない国があるかい。伝統も汽車もみな外国人につくってもらっている...(中略)...まだ寺子屋で坊さんがお経ばかりおしえている。こんなことでは国は滅びる。いや、もう属国となっているが」
「――いや、袈裟を洋服にかえたからって、それで人間が幸福になるとはかぎらない。現に日本人はこんなことになったじゃないか」
本書の縦糸が太平洋戦争で罪なく若くして死んだ人々への哀悼であるとしたら、横糸は、ビルマ人と日本人の対比による暴力的な近代文明批判である。
主人公の水島に、祖国に帰還して復興に尽くすという選択を放棄させ、ビルマに散った日本人兵士を弔うため僧侶となり、ビルマに留まるという選択をさせたことで、作者は、欧米列強に植民地化されないために日本がとってきた富国強兵路線、「洋服を着るという選択をした日本」、「前ばかり見て振り返らない日本」そのものに疑問を呈している。
作者の疑問は、グローバル経済の時代を生きる21世紀の現代人にも新鮮だ。敗戦後、日本は経済至上主義路線をひた走った後、下り坂に入り閉塞しているのに対し、受動的で柔和、敬虔な仏教徒の国ビルマでは、国を閉ざし軍政下で停滞が続き、国民はずっと貧しいままだ。おそらくそこでは伝統や宗教や家族の紐帯は維持されており、人々は日本人よりずっと穏やかな笑顔をしているだろう。どちらの国の人々が幸せ?この本が書かれて60年がたった今も、はっきりした答えは出ていない。
若きウェルテルの悩み (岩波文庫)
若きウェルテルの悩みを多感な15歳の頃に読んで、2年間ほどずっと愛読していました。最後にこの小説を読んで自殺をする読者が出ないように警告するようなあとがきもあり、当時に物凄い影響力があったことを思わせます。私個人は人妻に恋した経験こそありませんが、20代くらいまではこのウェルテルの悩みに痛いほど共感し、切なさに胸が締め付けられる思いがしたのを覚えていますが、今現在、恋することと愛することの境界線が自分の中に消えつつあるのを感じながら、恋愛に苦しむことはこれから先はもうないであろうと感じるのは、自分がもう「若き」人間ではないのかな?と思いつつも、相手に振り回されるのは愛ではないのではないかな?と感じてもいます。でも、ウェルテルのような純粋な恋愛の気持ちだけはいつまでも持ち続けていたいと思います。